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2004年02月21日

夢から夢へと覚める

Thinking

「運動論」リンクを読みながら考えたことなどを少し。

まず結論から言うと、僕にはあんまり良く理解できなかった。「ネタ」と「ベタ」の話を取り上げた際も思ったんだけど、このリンク先周辺の人たちと、僕が似たようなテーマで書き出しても、微妙に話題がリンクしない。教養とか、表現力の差があるのはもちろんだろうけど、基本的な地頭の良さが決定的に違う、というのもありそうな話だ。僕は「周回遅れ」で走っているのかもしれない。

とにもかくにも、よく分からなかった点を列挙してみる。まず第一に「煽る側/煽られる側」の区別ってそんなにきちんと出来るんだろうか、という点。仮にとりあえず、運動を、永井均的「夢」のアナロジーで考えてみれば、「眠らされている(夢を見させられている)/自発的に眠る(夢を見ている)」という感じになるんだろうけど、夢を見ている最中(まさに「夢中」になっている時)にはその区別は原理的には出来ないのではないだろうか。

それから次の点。仮に「煽る側/煽られる側」の区別がとりあえず出来るとしても、「煽られる側」のリスクとは具体的にどういったものを指すのだろうか?或いは、元気になる為に運動をやるのはコストが高くて割に合わない、という仮定は正しいのだろうか。

というのも「コストが高い/低い」というのは「相対的」区別に過ぎないからだ。例えば「他の何に参加しても」盛り上がれなかった人が、ある運動を通じて初めて「元気になれた」という場合、比べる「他」がない。従って「元気になれるため」にかかる「コストが高い」とか「低い」という言い方は意味をなさない。ちなみに例えば、もしここで言われている「リスク」=機会費用の増大、であるとすると、代替案がない場合は機会費用は生じない=リスクは存在しない、と言わざるを得ない。

さらに言うと、「運動をやって元気になるのはまずい」、ということが前提とされているように見える点も気になる。他人に迷惑をかけない限り(ex.「サリンを撒かない限り」)は、どのようなものを通じてであれその人が「元気」になれたのなら、それはそれで肯定されるべきなのではないか、という反論も成り立つと思うんだけど、それに対してはどう答えるのだろう。

最後。「水をさす」というのはどの視点に立っているのかが良く分からない。ある運動に夢中になっている人がその自分の夢の中で眠っているように見える人を起こす=動員するのと、「水をさす」=夢から目を覚まさせる、というのは、目を覚まさせるという点においては一致している。難しいのは「水をさす」人がほんとうに「別の夢を見ていない」と言えるか、という点にある。少なくともこれは僕にとっては即答しかねる問題ではある。

疑問は大体こんなところかな。この議論にこれから続きがあるのかないのかはよく分からないけど、こんなところを気にしながら、読むことにしよう、という僕なりのメモまでに。

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Comment (4)

(ナツ):

はじめまして。
「煽られる側のリスク」の件ですが、分かりやすい例は血のメーデー事件だろうと思います。ただのデモのつもりで皇居前広場に出かけたら、共産党の非公然部隊がやれやれと群衆を突っ込ませて、死傷者が出たわけです。
# 学校の卒業式程度の問題に煽る側だの煽られる側だのといった大げさな議論をする必要性があるかどうかは疑問ですが。

deadletter:

ナツさん、はじめまして。こんな古い記事を見つけて下さってありがとうございました(笑)

仰る通り、あの議論の背景はそういう「オオゴト」ではなくて、どちらかというと反戦デモに加わるだとか、君が代問題だとか教科書問題だとか、「(こういう言い方は適切かどうかは分かりませんが)些細な問題」を念頭に、「危険だ」という議論をことさら大袈裟にしているように見えて、そこに少し違和感を持っていました。

些細な問題であっても、例えば小林よしのりは色々関わり、巻き込まれた当事者ですから「運動は危険だ」とか言い出すのは分かるのですが、もともと運動とは縁もゆかりも無さそうな人たちが(これはもちろん僕の印象に過ぎませんが)彼の問題意識をきれいにトレースしてしまっている(ように見える)のは何故なのだろう、と言いますか。

(ナツ):

小林よしのりさんのパワーないし影響力なのだろうと思います。

漫画を読む限り彼はあまり体が丈夫ではないようですが、そのエネルギーを表現に向けて今までやってきたのだろうと思います。

# ここ数年は彼の描くものをあまり読んでいないのですが。

deadletter:

やはりそうなんでしょうか。

とすると、仰る通り、出発点としては彼個人の問題意識に過ぎなかったはずのものを、あそこまで広汎に(運動なんてやったことの無いはずの人たちの中にまで)共有させるというのは、本当に凄いことだと思います。現状の市民運動の萎縮ぶりをみると、「パワーあり過ぎ」、という気もしないでもありませんが。

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