前提はこんな感じ。「株式投資をし、J社の株主になった。ところが最近は運用パフォーマンスは悪いし、さらになぜか経営陣は、J社にとってみれば一方的な悪条件にもかかわらず、A社との企業提携という案件を株主総会に出してきた。しかもそれは明らかにJ社自身の定款に反するのだけれども、彼らは強引な解釈で定款違反ではないと強弁し、株主総会で承認を得た。」
この前提を踏まえると、東さんの主張は「株式を売る自由(=降りる自由)を認めよ」という感じになるだろうか。ちなみにこの主張自体は全く正当なものだ。例え株主総会で正当に決まったことだろうと、株主にそれに従わなければならない義務などありえない。会社の方針に異議を唱え、その会社の株を売却できる権利は株主固有の権利なのだから。
それに対し宮台さんの議論は少し複雑で分かりにくい。まず宮台さんは「株を売る自由」を否定しない。「他国が攻めてきたら家族を守る為に命を張れ」とアジる小林よしのりに対して「家族を守る為だけなら家族共々日本から脱出したほうが合理的」と彼を一蹴した記事をどこかで見かけたんだけど、だとしたら「株を売る(=降りる)自由」の存在は議論の前提になっていると思う。
で、ここから辺からは僕の思い込みが多分に入るんだけど、その自由を認めつつ宮台さんは「あえて株を売らないという選択をして欲しい」んだと思う。
それには理由がいくつか考えられる。
一つは「株式会社モデル」では株主なら誰でもいつでも自由に好きな時に「株を売る」ことが出来るけど、現実では一握りの人(エリート層の人)にしかそのような自由は行使できないということだ。そしてこれはリベラリストたる宮台さんとしては到底受け容れられない「不平等な自由」ということになる。このエリートを「株式会社モデル」の中に当てはめると、かなり無理矢理になるけど「大株主」って感じかな。確かに大株主に逃げられると、会社は潰れかねず、割りを食うのは少数株主(非エリート層)になってしまう。
もちろんこの問題に対しては「とりあえず運用パフォーマンスを上げる」という解決策が考えられるだろう。でも宮台さんはその解決策にも懐疑的だ。それは多分J社のシステムをひたすら合理化して生産性を上げ、結果的に何とかある程度のパフォーマンスが達成されたとしても、その結果のJ社はA社と非常に似通ってしまい、逆に「大株主」がJ社の株を持ち続けなければならないとする理由が失われてしまうからだ。合理性を突き詰めると何でも入れ替え可能になる、つまりパフォーマンス面が同じならどの株も(どの企業も)同じじゃないか、というわけだ。
そして最後にもう一つ、企業の徹底的なリストラ、合理化の結果、企業の周辺の中小企業(=南側を中心とする発展途上国)が切り捨てられ、搾取されていくという論点も忘れずに付け加えておこう。
そんなわけで、宮台さんは「魂」の問題を持ち出した、と僕は見る。つまり「J社の株を手放さないのは、この株がA社株ではなくまさにJ社の株だからだ」という議論に持ち込もうとしているのではないか。
ちなみに東さんが「株を売る=降りる自由」を強調しているのは、そもそもの「株を売る=降りる自由」そのものを否定する空気が今現在蔓延している、という感覚が東さんにあるからだとも思う。でも、僕の感じでは、宮台さんと東さんは「株を売る=降りる自由」の存在自体はどちらも肯定しているし、そこに対立点はない、という気がするんだけど。
以上、この「株式会社モデル」がちゃんとこの議論を説明できているかは全く保証の限りではない(というかかなり乱暴)。が、いずれにせよ、この議論、東さんがあとできちんとしたコメントを出すと言うことらしい。それに対する宮台さんの反応やいかに。明日はどっちだ!
(追記)東さんがコメントを出すきっかけになった澁川さんのblogも参考までにリンク。

