原作は読んではいないのだけれども、Wikipediaなどを見てみると、監督自身の解釈・読み替えが相当に為されている、とのこと。
ストーリーテラーを務める松子の甥(瑛太)や松子の元恋人(伊勢谷友介)が「松子は神様だ」とそのものズバリな表現をしたり、松子の甥の恋人(柴咲コウ)は「人間の価値は人から何をしてもらったかではなく、人に何をしてあげたかだ」というセリフを言っていることから見るに、どうやらこの監督は主人公の松子(中谷美紀)を、無私の愛を他者に分け与える「神」(或いはマリア)になぞらえたかったようだ。
けれども仮にそうだとすると、この監督の目論見(読み替え)は見事なまでに成功していない。
確かに松子は付き合った多くの男たちにひたすら尽くし、身も心も捧げるわけだけれども、ほとんどの男たちに対して何の影響も及ぼしていない。男たちはそれによって目覚めることはないし、人生の真理のようなものにも気づくことはない。松子は単に、その思い込みの激しさと「重さ」を疎んじられ、捨てられるだけの繰り返し。
また、松子の方も「無私の愛」というよりは、幼い頃から父に愛されていなかったという思い込みによるトラウマで(もちろんその事情自体は同情に値するものかもしれないのだけど)、題名の通り「嫌われたくないが為」というどちらかというと「自己中心的な動機」が先立っていたように思う。
そのような無茶な読み替えをするよりは、(私見だけれども)どんなに男たちに裏切られても、それでも妄想をたくましくしひたすら自己正当化を繰り返しながら生きていく・生きていかざるを得ない人間というものの生への欲動の根深さといった側面を全面的に打ち出したほうが良かったのではないだろうか。
…と、批判ばかりしてしまったが、エンターテインメントとしてはとてもよく出来ている作品。中谷美紀の「弾けっぷり」も何ともキュート。2時間全く退屈しない。


