「核の傘は存在していない」とか「アメリカは自らリスクを負ってまで日本を守ってくれない(日米安保は実は機能していない)」という事実認識を披瀝する人たちがいる(この記事や小林よしのりや、まあ、その他の保守系の政治家・文化人の議論でもたまに見かける)。
ということは、この国の戦後60年間の「平和」は、「核の傘」にも「日米安保」にも依存せずに保たれたことになるのではないだろうか。日本が平和であるのは「憲法九条」と「日教組による洗脳教育」と東アジアに対する「土下座外交」のおかげかもしれない。「スピリチュアル」かつ「オーラ」な観点からすると、戦時指導者によって餓死させられた(=殺害された)多くの「英霊」がこの上なく寛大な御心であの世から見守り給もうたのかもしれない。
いずれにせよ上の事実認識を肯定する立場を採用すると、少なくとも日本は「自主防衛」を成し遂げていることになる。日本も捨てたものではないということだ。
解せないのはこの種の議論を展開する人たちの多くが、過去(=これまでの戦後)の日本のあり方を口を極めて批判し、挙句に「平和のため」と称して日本の核保有を主張したりさえすることである。極めて不可解である。彼らによれば「核の傘」も「安保」も無くとも平和は保たれていたのではなかったのだろうか?戦後の60年間にも及ぶ「平和」に関する実績を全否定し、「(効果も定かでないはずの)核こそが平和をもたらす」などという華麗かつアクロバチックな論理展開を理解するには、残念ながら僕の学力・知力のレベルは低すぎるようだ。
ちなみに彼らのように自国の成し遂げたことに対して「自虐」的に接し過ぎると→国民が自国に誇りを持てなくなり→愛国心が薄れ→規範意識が希薄化し→少年犯罪が激増したり・大企業は税金が高いなどという非国民的理由で「美しい」はずの日本から逃げ→国が荒廃し→中国に占領されてしまうかもしれない。
まさに負のスパイラルである。「安易に自虐に走る」のは「素人にはオススメできない」という気がする。

