最近はイラク関連のことを書くことが多いので、書くならば、せめて「流し読み」くらいには耐えられるようにと、多くの言及サイトを巡回し、情報を集めようとはしている。その中で最近気になることがある。「対案」というタームだ。
派兵推進派は「自衛隊派兵に反対するのなら、イラク復興には他にどうすれば良いのか、対案を出せ」というセリフを必ずと言っていいほど殺し文句に使うし、派兵反対派の中にも「反対するからには対案を示さなければ、自分たちの主張の説得力が減じるのではないか」と懸念して「対案」をひねり出そうとする人たちが少なくない。
この点に関しては、僕は「こうすればイラクは良くなる」という自分勝手な「復興案」をイラクの人たちに押し付けているという意味ではどちらも似たもの同士だと思える。「復興」というのは、おいそれと「案」が提示できるほど簡単なものではないからだ。これについて最も有用な示唆を与えてくれるのがJ.E.スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』だ。
ノーベル経済学賞受賞者という生粋の理論家でありながら、世界銀行の副総裁として多くの発展途上国に対する経済支援の現場にも関わった彼はIMFの経済支援策を、教条主義的だと手厳しく批判する。IMFは「自由貿易」、「市場の自由化(規制緩和)」、「国有財産の民営化」、「インフレ抑制(貨幣価値の維持)」、「緊縮的な財政政策」といった「市場原理主義的政策」を「最終真理」のごとく奉り、それを「一律に」発展途上国に押し付けていたからだ(これらの条件をのまなければ融資を拒否)。
けれども問題は「一律に」というところにある。未成熟な経済力しか持たない国ではある程度の「財政出動」は必須だし、ある程度の金融緩和(インフレ)による「失業対策」、「景気刺激策」も重要だ。或いは各種産業の成熟度が低い場合、それを育成し、軌道に乗せる為には「規制」だってきちんと為されるべきなのだ。
でもIMFが新古典派経済学の「理論」を狂信し、一気に上述のような政策を押し付けたために、途上国の経済は混乱し、経済成長の芽が摘まれてしまった(寧ろかえって貧しくさえなった)。しかもIMFの上層部は自分たちの政策がどれだけ惨憺たる結果を齎そうとそれを無視し続けたのだ。スティグリッツは言う。本当に重要なのは改革の「やり方」、「進め方」であって、それは現実、現地の情報、知識に基づいて、慎重に進められるべきものなのだ、と。
この彼の主張は「対案」問題に対して興味深い教訓を与えてくれているように思う。つまり、重要なことはイラクが今どんな状態で、どんなニーズがあるのか、彼らがどういった経済的、政治的、文化的問題を抱えているのか、それをきちんと把握することなのだ。それ無しではどのような「復興案」も「善意の押し売り」、「ありがた迷惑」以外になりようがないのではないだろうか。
だから僕は今回のような、国内の政治的事情のみで決定された日本の「押し付け」の「復興支援」に強く抗議する。それと同時に僕からの身勝手な「対案提示」も禁欲しようと思う。「対案」は「派兵反対派」が示さなければならないものではない。あえて言うなら「イラクの人々」が示すべきものなのだ。
そう言えばもう約12時間後に迫ってきたんだけど、「ワールドピースナウ」に行こうか行くまいか、今すごく悩んでいる。一緒に行く友達もいないので、日比谷には辿り着いたとしても、ウロウロしているうちに、恥ずかしくて帰ってきてしまう、という事態も十分予想されるからだ。うーん、どうしたものやら。
(追記)
「賑やかし」にパレードに行ってきました。メチャクチャ寒かったけどその割には結構集まったな、という感じ。色んなことを考えながら日比谷公園から常盤橋公園までゆっくり「銀ブラ」してきました。

