昨日僕が書いたEntryについては、出来が悪いことこの上なかったので消しました。僕なんかよりもはるかに明晰な正論を展開されている内田先生のEntryを読まれた方が断然良いと思いますので、代わりにリンクしておきます。
自分に敬意を払わない人間を処罰する人間は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した人間である。ふつう、そのような人間に敬意を払う人はいない。国家に敬意を払わない人間を処罰する国家は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した国家である。ふつう、そのような国家に敬意を払う人はいない。何故国旗・国家に敬意を払うべきなのか。 何故国を愛するべきなのか。 何故「愛国的に」振舞うべきなのか。
これは実は自明な問いではない。自分の住んでいる国が他の国家による侵略を受けたとき、命をかけて戦うのが当然だ、とかつて(今も?)小林よしのりは主張したのだけれども、それは端的な誤りだという他ない。そこには例えば「逃げる」という選択肢が存在するからだ。その選択肢が存在する以上「何故逃げずに戦うべきなのか」という問いは、有意味な問いとして成り立ってしまう。「戦う」=「愛国的に振舞う」ということは、その国家の構成員にとって、決して自明な前提ではありえないのだ。
「何故国を愛するべきなのか」という問い自体を初めから封殺し、「まず愛せ(敬え)、話はそれからだ」と迫る国家を僕はまともな近代国家だとは認めない。最近「国の基本的役割は国民の生命財産を守ることである」という主張を到る所で聞くようになった。けれども、君が代・日の丸問題を通じて、透けて見えてきたのは、この国は「生命財産云々する前に、まず無条件で自分たちに忠誠を誓え」と命じているということだ。
それを完全な倒錯と言わずして何というのだろうか。
(追記)
ちなみに「まず国家に忠誠を誓え、財産権等を含めた基本的人権の保障云々はそれからだ」と主張し、実際にそういう政治体制をとっている国家を僕は少なくとも一つ知っている。そう。その国は日本のすぐ隣に位置し、名前を確か「朝鮮民主主義人民共和国」といったはずである。

