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2004年09月24日

イチローは過去に光を当てる

Thinking

いまさらながらイチローは稀有な選手だと思う。

ずば抜けた成績を修める選手は他にもいる。ただイチローのように成績を「創り出す」ことの出来る選手は本当に少ない。

例えば日本で「年間最多安打」という概念を広めたのはイチローだ。例えばメジャーで「月間50本安打」という概念を広めたのもイチローだ。彼は「自分は記録とは切り離せない」と(自嘲気味に)語るが、僕が思うに、それは彼が殆んど誰も見たことのない、型破りのプレーヤーだからだ。イチローを解釈する為に、多くの人たちが「過去にどのようなプレーヤーがイチローと同じことをやったのか」を問おうとする。その結果、記録が発掘される。或いは概念が発明される。つまり彼は「記録」なくして解釈の出来ないプレーヤーなのではないだろうか。

特に最近の、彼のやることなすことを記録に仕立て上げる「記録のインフレ」状態は、彼の「攻撃力の高さ」、プレースタイルを、そういったものを手がかりにでもしないとどう評価して良いのか分からない、といったことが背景にあるとしか思えない。

そしてそれは思わぬ副作用をもたらしている。概念が発掘された結果、過去にそれをやってのけた選手に光が当たり始めたのだ。イチローの凄さを理解する為に記録を掘り出した→記録を破ったイチローも凄いが、その記録を打ち立てた選手も凄い、という流れなのだろう。

例えば年間最多安打記録保持者のジョージ・シスラーは月間50安打達成回数でも最多(10回)を誇る偉大なバッターだ。けれども息子さんのデーブ・シスラー氏は、自分の父について、殆んど言及されることもなく忘れられた存在だった、と語っている。彼は、イチローが掘り起こす記録のあちこちに顔を出すおかげで、その偉大さが再確認された一人だ。

「記録」はまさに破られることにも意味がある。チャレンジ欲もかき立てず、見向きもされない「記録」は無意味だ。破られることで光が当たり、記録も前保持者も光り輝く。しかもそういう忘れ去られた人々が光り輝くということは、新たに歴史が発明されるということでもある。例えばベーブ・ルースやハンク・アーロンの名によって言及されてきた、メジャーリーグの「(強打者偏重の)正史」とは別の「歴史」が構築されつつある。そしてそれはイチローへと連なるのだろう。

蛇足だが、日本の年間最多本塁打記録は、今や最も敬意を持たれない記録だ。記録保持者の王貞治は自身の記録が破られるのを、自ら3度(バース、ローズ、カブレラ)も妨害した。この記録で誰もが思い浮かべるのはのは王の醜い悪あがきであり、日本プロ野球に残る前時代的な差別意識(熱烈な巨人ファンを自任するアナウンサーの徳光和夫は「何処の誰だか知らないような人に破られるのは不愉快」と暴言を吐いた)であって、決してその記録の偉大さではない。この記録の「名誉」を回復する為に、それは一刻も早く破られるべきだろう。

(追記)
デーブ・シスラー氏のインタビュー記事。原文はこちら

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