第二次世界大戦末期のイタリアで暮らすユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)。彼は陽気で自由で人生を心から愉しむ達人。高嶺の花の美人令嬢、「お姫様」ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)をあの手この手で口説き落とし、一人息子のジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)をもうけて、幸せな日々を送っていた。しかし戦争の色が濃くなり、彼ら家族もついに強制収容所に送られてしまうことに。絶望と過酷な状況に投げ込まれながらも、グイドは幼い息子にはこの悲惨な現実を悟らせぬよう、ある一つの嘘を思いつく。「これはゲームなんだ。一等賞になったら戦車がもらえるんだよ。」
多くの人が評するように、笑いあり、涙ありの「完璧な」感動エンターテインメント。特に主人公グイドに関しては、その何があっても前向きで決して諦めない強さ、家族への限りなく深い愛情に心打たれない人はいない、とほとんど断言してもいいくらい。他にもドーラの凛とした綺麗さ、ジョズエの信じがたいほどの可愛らしさはまさに必見の価値あり。
ただ気になった点が一つだけ。この映画はグイドのキャラクターがあまりに「立ちすぎている」。妻のドーラはグイドが仕掛けてくれる様々な演出を「享受し続けるだけ」の受動的存在に終始し、息子のジョズエも、父の提出する世界観、嘘、演出、を微塵も疑う事はない、文字通りの「無邪気な子供」。2人ともグイドの創りだす舞台設定の上、手の平の上で踊るだけの存在、キャラクター(「コマ」)でしかないのだ。
つまりこの映画には、グイド以外の他者の世界観が存在しない。グイドの世界観とドーラやジョズエの世界観が交錯するということがない。全てがグイドの一つの世界の中できれいに完結してしまっているのだ。それはそれでスッキリして見やすいという効果もあるのだろうけど、ひねくれた見方をすれば「平板にすぎる」ということも言えると思う。
ところで今日は僕の誕生日。僕としてはいまのところはなんとか「ライフ・イズ・ビューティフル」かな。まだ人生にはそんなに飽きてない。

