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2005年01月13日

NHKは死んだ

Thinking

「ジャーナリズムは死んだ。ジャーナリズムは死んだままだ。それも安倍・中川とNHKがジャーナリズムを殺したのだ。」

それにしても羨ましいな、安倍さん、中川さん。

僕が番組の内容について、番組自身の用いた資料を元に「偏っているのではないか。公正・公平な報道を。」とメールを送っても、なしのつぶてなのに、あなたたちなら単なる一般論として「公正な報道を」と言っただけで(あくまでその見苦しい弁解が仮に正しかったにせよ、ですが)、すぐ番組内容は変更されてしまうんですね(しかもなぜかあなたたちの意向に沿う形で)。

そして、やり場のない怒りを、何の権限もない「BPO」にぶつけるしかなかった「T君」。なんとも無念のことと思います。キミが政治家であったなら、そして与党の要職に就く人物であったなら、番組担当者のキミへの対応もさぞかし違ったものであったでありましょうに。

(追記1)
報道ステーションでの安倍晋三の「修正作業は何日も前から始めていた。私が会う会わないは全く関係がない。」という弁明は、やはり奇妙だ。仮に番組内容が「偏向(この単語はナンセンスなので用いたくないが)」していたとして、自主的な修正作業が為されていたのなら、なぜその最中に安倍にNHK幹部がわざわざ自らお伺いを立てる必要があったのだろうか。また、その後NHK幹部による異例の試写、そして放送直前に番組の放送時間を縮めてまでカットするという、これまた業界内でも異例の事態に発展していたということ、これを合理的に説明するには、彼の主張はいかにも白々しい、と言わざるをえないのではないか(修正作業が予定通りに進んでいて、なぜそんなにバタバタした段取りになるのか)。

(追記2)
「安倍は釈明した。よって彼はシロ。これは安倍を陥れる悪質なキャンペーン」と主張する一部の人たち(しかもその人たちの多くが日頃メディアリテラシーの重要性を繰り返し主張している)のメディアリテラシーがどの程度かわかったという点でも今回の件は興味深い。

(追記3)
あささんのBlog「逃避日記」経由で知った「NHK番組に中川昭・安倍氏「内容偏り」 幹部呼び指摘 」という記事。この記事が事実なら、中川による「放送後に抗議したので事前検閲にはあたらない」という弁明も相当怪しくなるわけなのだけれども。

(追記4)
放送法の「三条」と「三条の二の二」を同列に扱う人がいるけど(例えば読売とか産経の社説はまさにその典型)、そんなわけないでしょう。「三条」の方が重みがあるに決まってる。

(追記5)
『中川経産相:「NHKと同じ」訂正を朝日に求める考え』(リンク切れ)

朝日新聞の取材に対し、中川経産相が番組の放送前にNHK幹部と面会したと語ったことについては「4年前のことを聞かれ、記憶があいまいなまま答えた」と述べ、幹部と面会したのは放送3日後の01年2月2日であると主張した。(毎日新聞1/15)
思わず笑ってしまった。彼は朝日新聞に抗議する、と息巻いてるみたいだけど、一体なんて抗議するつもりなのだろう?「オレの発言を鵜呑みにするな」とか?「オレに裏を取りにくるな」とか?

(関連Entry)
(続)NHKは死んだ
NHKは死に続けている

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Comment (13)

Jonah:

追記2についてですが、それは俺が引用したブログのことでしょうか。
そこでコメントつけてるのは彼を賞賛してる人ばっかりなので、俺がバカすぎて彼が「嘘ついてるのは朝日新聞」だとする論理が理解できなかっただけかと思っていました。
(自分の知能に本当に自信がないので)

もし、違ってたらコメントを削除してください。

deadletter:

僕も(知能が低いからなのか分かりませんが)理解できませんでした。もう少し、安倍ファン以外にも分かりやすいように論旨を展開してもらえたらと思うのですが。というわけで、「正解」ですのでJonahさんのコメントはこのままにさせていただきます。

こんにちは。
さて、当事者双方の主張が真っ向から食い違う場合、どちらが真実を語っているのかを確認することはできません。どちらもウソをついている可能性及びどちらか一方がウソをついている可能性はありますが、どちらも真実である可能性だけがゼロといえますよね。
安倍氏がウソをつかない政治家であることを祈るのみですが、NHKも朝日も過去の悪い業績から私のなかでの信頼が低下しています。逆に妙に信頼できるのは、相対的に安倍氏だけという印象をもってしまいます。ここまで対立したら裁判で事実関係を争ってほしいと思います。

goriさんは、私の勝手な印象ですけれど、愛・蔵太さんの弟子筋?にあたる「一次的ソースからの検証記事」を一生懸命に書かれている一ブロガーというふうに・・。(勘違いかもしれませんが)

今年も皆さん参考にさせていただきます。よろしく。

deadletter:

note of vermilion「メディア・リテラシー」
http://d.hatena.ne.jp/jouno/20041206/1102344331

事実として僕たちはほとんどの情報を根拠なく鵜呑みにしています。それを疑うことは本当に難しい(何を疑いの対象として選択するか、からその困難は始まっています)という認識なくして「メディアリテラシーを身に付けよう」という議論は無意味なはずです。

かのBlog及びその周辺の人たちに関しては「自分たちも信じたいものを信じているかもしれない」という反省的態度の欠如が垣間見えて、たまにうんざりします。彼らが語る「メディアリテラシー論」はそれを隠蔽する機能を果たしているだけじゃないのか(しかも彼らのメディア解釈を共有しない人たちを「サヨク」のレッテルを貼って排除する)、と言うjounoさんはそれを鋭く指摘されていると思います。

僕には正直「朝日新聞だけが偏向している」とか「朝日新聞には誤報が多い」という彼らの信念がイマイチよく分かりません。どのメディアにもそれぞれ政治的信念はあるだろうし、誤報を出す頻度だって、記者クラブ制度がある以上各社似たようなものなのではないか、と思っています。

で、今回の件ですがNHKも安倍さんも当事者なので信用できない。人間本当に苦しい立場に追い込まれたらウソの一つでもつくでしょうし。というわけで「安倍潰し」とかいきなり陰謀説に走った時点で僕的にはアウトですね。

swanさんとは評価が違っているかもしれません。でも僕だって彼の執拗な「情報ソースへのこだわり」には敬意を覚えないこともないのです。なかなか真似出来ないことですから。

いずれにせよ、僕の尊敬するブロガーであるswanさん、Jonahさんにコメントをいただけて嬉しく思います。こちらこそ今年も勉強させていただきたいと思ってます。

>彼の執拗な「情報ソースへのこだわり」には敬意を覚えないこともないのです。なかなか真似出来ないことですから。

実感としてわかります。同感です。
一次的ソースさえ提示すれば錯誤に陥らないという信念を疑ってかかる必要があるのは、哲学屋であれば20世紀の言語哲学から誰もがぴんとくるはずですよね。愛さんはしばしば主観を排除した記事の必要性について説教をしていますが、そもそも解釈モデルに依存しない観察なるものはあり得ません。

http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/basics/visual/index.html
のなかに、ウサギとアヒル(http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/basics/art/rabbiduck.html)という有名なだまし絵がありますが、観察には観察者の思想が入り込むわけですよね。
メディア・リタラシーということでいえば、観察者が依拠し共有している思想ないし解釈モデルを明確に理解するという点におかれるべきでしょうか。
解釈者に解釈が混入しているから、記事として不純であるというのはトートロジーですし、それ自体がすでにプラトニックな思想です。また、別の解釈がありうることを発見したとして、発見された→ゆえに既成の解釈は間違っているという理屈も成り立たない。
なので、「マスメディアの役割は純客観情報の提示であり、解釈の仕事は読者の仕事である」という二分法は、議論の前提から見直すべきでしょうね。

「ウサギである」という報道だけをすれば偏向報道となるでしょうけれども、「アヒルの可能性も否定できないがウサギとの見方が強まっている」という観察者共同体の認知状況を伝達する報道であれば、観察者の解釈が公正中立ではないということはいえないと私は思うのです。

ただ、愛さんがいわんとするところは、そもそも絵自体(ソース)をみせないのはどうなのかという点にあるように思います。
しかし、ウサギ・アヒル絵であれば、誰でも解釈可能ですが、これが非常に技術的に困難な科学的問題であったり、政治的に事実を明らかに出来ない事柄であったりした場合大きな問題に直面する。前者においては情報の受け手の解釈能力の限界をどう考えるかであり、後者はメディアの取材源の秘匿についてどう考えるべきかという問題をはらみます。

今年はこういった問題についてもう少しつっこんで考えてみたいと思います。

advance:

追記1についての質問です。

deadletterさんが、
・安倍氏とNHK幹部の面会は何時だと考えているのか
・試写と修正作業が行なわれたのは何時だと考えているのか

を知りたいです。

追記1は、「面会の後に、そのときの圧力が原因で、試写・修正が行なわれた」と読めるのですが、それでいいんでしょうか?

deadletter:

ご質問の件ですが、なぜそんな質問をされるのか、真意を量りかねます。別に裏情報を持っているわけではありませんので。一応お答えしますと、安倍さんがNHK幹部と会ったのが29日。その後試写と修正。そして放送当日に再度修正が行われ、三分尺が縮められた、という認識です。

(追記1)については、状況からみて「無関係」と言い張るのは少々苦しいんじゃないですか?ということです。そもそも安倍さんがなぜそう簡単に「無関係」と断定できるのか、僕には良く分からないからです(NHKはそれが原因で、それを圧力と取って修正したかも知れないでしょう)。

少し脱線しますが、僕は今回安倍さんの対応は非常に稚拙だったと思ってます。最初の声明・コメントでぺらぺらと番組内容批判を繰り広げておきながら、あとになって「一般論を述べただけ」と修正したとして誰が信じるでしょう(安倍ファンは別として)?ちなみに僕が安倍さんだったとしたら、朝日の記事の一部を認めて初っ端で「公正な報道を、という一般論を述べたつもりだったのだが、NHKがそれを圧力に感じたというなら、政治家としてもっと慎重になるべきだった。申し訳ない。今後は発言には注意したい。」と言いますね。それで話は終わりだからです。それを開き直って、全て朝日の捏造だ・陰謀だと噴き上がるものだから、朝日も引くに引けなくなり騒動が拡大してしまったのです。はっきり言って安倍さんの政治家としての未熟さが露呈した事件だと思いますね。

t-cu:

>放送法の「三条」と「三条の二の二」を同列に扱う人がいるけど………「三条」の方が重みがあるに決まってる。

あの~
ココは笑うトコロですか?

本気で言っているなら、……何も言うことはありません。

advance:

次のような資料があります。
どちらも番組関係者の話として紹介されていて、両者異なる立場から当時の認識を述べています。

http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/nhk/etv2001.html
http://www.asyura.com/sora/bd16/msg/709.html

ここでは、早い時期からの現場とNHK上層との対立や、修正作業が述べられています。ですので、以下の記述、

> 仮に番組内容が「偏向(この単語はナンセンスなので用いたくないが)」
> していたとして、自主的な修正作業が為されていたのなら、なぜその最中
> に安倍にNHK幹部がわざわざ自らお伺いを立てる必要があったのだろうか。

にある「自主的な修正作業」については既に行なわれていたんじゃないかという意見もあります。
「自主的」を「NHKの判断で」と解釈し、さらに上記二つの文書を信用するなら、ということになりますが。

また、

> その後NHK幹部による異例の試写、そして放送直前に番組の放送時間を
> 縮めてまでカットするという、これまた業界内でも異例の事態に発展し
> ていたということ、これを合理的に説明するには、彼の主張はいかにも
> 白々しい、と言わざるをえないのではないか(修正作業が予定通りに進
> んでいて、なぜそんなにバタバタした段取りになるのか)。

について。
上記の二つのリンク先から、
・29日以前からNHK上層と制作との「異例の事態」は始まっていた
・問題の日、29日の前日である28日にも活発な編集が続いていた
ことが読み取れます。
これらの文書がどれだけ当時の状況を正しく述べているのかはわかりませんが、
これらを前提とした上でも上の認識は変わらないのでしょうか。

あるいはリンク先の発言はその信憑性が(話者の意図に関わらず)疑わしいと言う立場なのでしょうか。
もちろん発言者と現場との距離を考えれば、そういう意見はありうると思いますが。

~~~~~~
ここまでが本文、以下はお話し
~~~~~~

> で、ご質問の件ですが、なぜそんな質問をされるのか、真意を量りかねます。
前提を確認しないと、自分の質問だけ言ってもすれ違うんじゃないかと、そういうことです。
それで「面会の日時」と「試写・修正の日時」についての認識は確認しておきたかったのです。

deadletter:

t-cuさん。
安っぽい挑発ですが、まあ今回だけは乗りましょう。次からは無視か削除です。お気をつけあれ。

放送法の三条の(法令に拠らない)あらゆる干渉の排除、の原則は、報道における「公正」・「公平」の概念の本質的、基底的な要素です。何ものかによって干渉され、制約を受けた報道は、その瞬間に「公正」・「公平」ではありえなくなるからです。

ちなみに、なにものからも干渉は受けていない立場から、ある特定の主義・主張にコミットした報道を行うことはありえます。分かりやすい例では朝日や産経はそうです(もちろんそれらが本当に、政治的な干渉から免れている、或いは干渉を排除しているという前提があったとしてのことですが)。

従ってこうなります。「三条」は、「三条のニのニ」の大前提なのです。「三条のニのニ」が議論される為には、まず「三条」が守られていないと話になりません。「三条」が守られていないということは、そもそも「公平」・「公正」が成立していないということですから。つまり「三条なくして三条の二の二なし」です。お分かりいただけたでしょうか。

advanceさん。
本文をよくお読みになって下さい。僕は修正が以前から行われていたことを否定はしてはいません。安倍氏に会う前から修正作業が行われていたことはもちろん知ってます。問題は、なぜその最中に安倍氏にお伺いを立てる必要があるのか、ということです。編集権の自立性の観点からすれば、彼に許可をもらう必要どころか感想を聞く必要すらないのにです。

さらに上記のリンク先、そして朝日の記事でも28日に編集(完パケ作業)が終了したとあります。しかしその後29日に異例の試写(「国会対策」の野島氏含む)、が行われ修正が当日までずれ込む、という信じがたい話になってしまうわけです。坂上香氏も、放映されたものは「ひどい出来の編集で制作者として恥ずかしい」とまで言ってますね。なんでそこまでドタバタするのかが全く分からない。NHK経営陣、幹部が以前から情報をキャッチして、問題視してたなら、もっと早い段階で、彼らを含む編集会議、乃至試写が為されていた筈ではないですか?もしかしてNHK幹部がキャッチしたのが29日だったとか?だとしたらさらに怪しさは募るわけですが。

というわけで上記リンク先を読んでますます疑惑は深まりました。

advance:

なるほど失礼しました、完璧に間違った読み方をしていました。
修正作業自体が安倍氏の圧力で開始されたと考えておられるのだと読んでいました。
そうではなく、28日までの修正作業と29日以降の作業を別物と考えておられるということですね。

> さらに上記のリンク先、そして朝日の記事でも28日に編集(完パケ作業)が終
> 了したとあります。

リンク先のどの部分を指して言っているのでしょうか?
第三回についての記述を混同されていませんか?
ちなみに第二回については、「24日にできた完成納品版」という記述がありますね。

> なんでそこまでドタバタするのかが全く分からない。NHK経営陣、幹部が以前か
> ら情報をキャッチして、問題視してたなら、もっと早い段階で、彼らを含む編集
> 会議が為されていた筈ではないですか?もしかしてNHK幹部がキャッチしたのが
> 29日だったとか?

僕の誤解が解けたことで生まれた、新たな疑問・確認が三つほどあります。

一つ目。
「ドタバタ」というのは29日以降の作業のみを指しておられるのでしょうか?
24日から28日までの作業は含まれないんでしょうか。

二つ目。
これまでの資料を総合すると、
・28日までは教養番組部長が試写に関わり、修正作業を行なった
・28日のインタビューの取り直しと編集作業
・放送直前である翌日、上層部を交えた試写
・試写の結果、さらに編集
という流れがあったと思われます。
教養番組部長クラス以上の人が修正の初期段階には関わっていないことが不自然だと主張されている、そういう認識でよろしいでしょうか。

三つ目。
上層部の問題の把握が29日までなかったと想像されることについての質問です。
次の事実が先のリンク先で述べられています。
・24日・部長試写においての紛糾、話は最終的に番組の放送中止まで行っている
・27・28日に右翼団体がNHKの建物に乱入するという事件が発生
この状況でNHK幹部が番組を問題視していなかったと言う仮定についてどう思われますか?


> 坂上香氏も、放映されたものは「ひどい出来の編集で制作者として恥ずかしい」
> とまで言ってますね。

これって事実関係の把握にどういうふうに影響するんでしょう。

~~~~~

「~だと思う」などという表明を、とても興味深いと思って読ませてもらっています。
それが根拠を明確にされたものである場合は特に面白いものです。
ただ、把握している前提の違いや適用されるコモンルールの違いというのもあるでしょうから、そこは聞いてみる価値はあるかなと思っています。

deadletter:

なるほど。リンク先に関する明らかな読み違い、2回と3回の混同をしてました。「完パケ作業が28日終了」というのは第3回ですね。

で、本題。
僕の立場は、安倍・中川氏の言動を「修正作業と無関係」とするのは早計、もしくは根拠が薄いというものです。もちろん、根拠がでてくれば、そうだったのね、で終わりです。とは言え「関係がある/ない」の議論は水掛け論になりがちでどちら側も立証しにくいことは確かですが。

僕には事実関係を立証する、能力も権限もありません。僕に言いうることは、僕はある「疑い」を持っていて、その「疑い」を持つにはそれなりの根拠もあるんだ、ということ、ただそれだけです。こういった単純な論理関係が理解できず、「怪しい」と言っただけで「ならば安倍が圧力をかけたことを証明せよ」という人がいますが、証明できればそれは「疑い」ではなく「事実」です。ですから、僕が「と思う」としか言わない、書かないのは当然なんですね。ところが「朝日の記事を捏造」だという人たちはすぐに「断定」してしまう。

この世界には「真/偽」だけではなく、「真/偽のいずれも証明されていない」という状態が存在します。「真と証明されていないから偽だ」というのは「論理」といったものに慣れてない証拠です。「真」を証明できないなら「偽」ならば、数学の証明の未解決問題はすべて「偽」で解決するはずです。ナンセンスな話ですが。

僕が疑いを持つに至った根拠は繰り返しますが単純です。
(1)NHK職員でさえ聞いたこともないような部長以上のクラスの幹部による「試写」」行われたこと(部長クラスの試写ですら稀)。
(2)番組の尺を縮めるといったこれまた異例の編集が当日に行われたこと。
(3)これらがちょうど安倍氏とNHKとの(本来不必要なはずの)やりとりの時期と符合すること。
(4)安倍・中川両氏の発言は変遷しており、中川氏に至っては当初「記憶が曖昧だった」としながら今ではNHKの説明となぜかピッタリ一致していること(その記憶の方が正しいとなぜ言いうるのか?)。

さてこの「疑い」に根拠がない、ということを示したい反論者は、どういったものを示せば良いでしょうか。まずは「右翼の存在」です。ですが「右翼も抗議していた」では弱いのは明らかです。「右翼しか抗議していなかった」もしくは「右翼の影響力が全て」ということが示せれば完璧です。で、これが上の資料から読み取れるかと言うと「不明」です。坂上さんは不明もしくは「政治家の圧力があったとしてもおかしくない」と言ってますね。

次に示せればいいのは「修正作業は予定通り、ルーティンだった」ということでしょうね。で、これが上の資料から読み取れるか、というとやっぱり読み取れない。

従ってこれを元に「朝日新聞は捏造した」、「圧力疑惑は偽」と「断定」する人たちはメディアリテラシーを語る資格がないと思います。

ちなみに後は、当事者以外(当事者の自分に有利な発言は信頼できないので)の客観的な証拠が出てくるのを待つ以外にないです。松尾氏は「朝日が自分の発言を捻じ曲げた」と言ってますが、彼もNHK幹部なので鵜呑みにするわけには行かない。これに対して朝日が音声録音でも出せればいいですが、出せなかったら朝日が不利になるでしょう。ただ、その場合にも朝日が捏造した(=偽)、と確定するわけではありません。真とするには証拠がない、というだけの話です。まあ、それでも朝日のダメージは大きいでしょうが。

後はどちら側の主張が蓋然性があるか、という問題です。「28日以前と以降で番組編集のあり方に質の違いがあったか否か」、「総局長試写がどれくらい異例なのか」「幹部は右翼に怯えがちか、自民党に怯えがちか」は部外者からは窺い知れず、断定は困難です。

が、「NHKは政治に弱い」という以前からの評判、「総局長試写なんてありえない」という元職員を名乗る人たちのウェブ上などでの発言、それまで動かなかったNHKのコンプライアンス委員会が、記事が出た途端急に動いて長井発言を否定したこと、それまで「訴訟」を理由に証言拒否していた松尾氏の豹変ぶり、などを含めて僕は、疑惑は晴れるに至らない、と考えています。

もちろん繰り返しますが「そうは思わない」と考える人がいても良いわけですが。

advance:

僕が尋ねてきたのは、deadletterさんが「どう思うか」でありました。リンクを示したことはあるものの、それについてどう判断するかということまで含めて、なるべくdeadletterさんの判断に任せるよう心掛けました。おそらく、deadletterさんが言っておられるような「ナンセンス」な部分は少ないかと思っています。

以上のことだけ書くと僕はdeadletterさんと同じような立場に見えますが、僕はことさら論理学やメディアリテラシーのことを大きな声で叫びたいとも思ってません。
殆どの場合、それは、程度の問題はあるものの、自分を棚に上げた発言でしかないし、また無用に議論を混乱させるだけだと思っています。もちろん、そう感じさせない高度な議論も何度か見ては来ているのですが。

僕は、結論が「朝日の捏造だ!」であれ、「安倍氏は疑わしいと僕は思う」であれ、そこへ至る過程で情報をまとめ、論点を整理しようとした努力に対して尊敬を感じます。
しかし、ブロガーの出した結論自体には、また別の見方をします。僕はその結論自体にそれほど意味があるとは思わない。

ただ、彼らが表明したという事実には興味が沸きます。また、異なる表明が必ずしも異なる前提に基づいてなされているわけではないことも面白い。今回の興味の対象はまさにそれでした。これはdeadletterさんが仰る意味とまた別の「ナンセンス」かも知れないと思っています。

~~~~~

余談。

談話においては、、話し手が「安倍は無罪だ!」と表明の発話を行なった場合も、あるいは「安倍は無罪だと僕は思う」と発話した場合でも、聞き手の解釈は「話し手は「安倍は無罪だ!」と信じている」となると聞いたことがあります。話し手は一般に聞き手の解釈を想像して発話を行なうとも言われています。

また、人の思考プロセスには演繹ではない、つまり論理的に妥当ではない推論や、世界に関する仮説(これまた妥当ではない)が含まれています。人の解釈が「正しいものを選ぶ」ではなく「もっとも正しそうなものを選ぶ」である以上、閉世界仮説ではないですが、必ずしも真でない世界仮説に基づいた推論も全く無意味とは思えません。

などと考えたんですが、どうでしょうか。適当な知識で適当なことを言っています。しかし、実際に閉世界仮説が論理的に正しいと信じて生きている人がそんなにいるとは思えないんですが。

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