昭和天皇が靖国への参拝をしなくなった理由を知っているだろうか。ちなみに僕が知っていたのは、A級戦犯が合祀された事がきっかけだということだけだ。
僕のそのことについての理解は、天皇による、国内、諸外国に政治問題を引き起こすことを怖れての、自主規制、或いは宮内庁など周囲の人間が進言を行った上での自粛なのではないか、ということだった。ところがどうもそうではなく、天皇自身がA級戦犯合祀に反発した為に参拝が中止された、という話らしい。
ちなみに「昭和天皇独白録」なるものをさらっと読んでみたのだけれども、意外にも「天皇は単なる神輿ではなかった」というのが僕の印象だ。少なくとも天皇が戦時指導者たちの主張にただ振り回されていただけの人物、というようには思えなかった。彼は時に戦時指導者、後にA級戦犯とされる人たちに対して、国の行く末を誤らせたと厳しい批判を行っている(もちろん彼らの暴走を止められなかったことについても、全ての責任は自分にあるとして終戦直後はそれを免れるつもりもなかったようだ)。彼はある意味でナショナリストだったのだ。
従って天皇は基本的にA級戦犯合祀には反対だった、というわけだ。では合祀を強力に後押ししたのは誰なのか。歴史学者の秦郁彦は「厚生省引揚援護局」の旧軍人グループと、靖国神社宮司松平永芳の役割が大きかった、と主張している。
「引揚援護局」は形式上は厚生省の一部局であったのだけれども、局長のみがキャリアで(しかも腰掛け的存在)、実質面を旧軍人グループ、しかも東京裁判史観否定派のイデオロギーを代弁する勢力に牛耳られているような部署であったそうだ。彼らは1959年のBC級戦犯の合祀がすんなりと通ってしまったことに味を占め、A級戦犯も、と意気込んだのだ。
一応ここで靖国への合祀までの事務的な流れを簡単に説明しておく。(1)厚生省(引揚援護局)が、保管されている戦没者カードと靖国神社による「合祀基準」と照合・選別して所定の「祭神名票」に書きこみを行い、(2)それを靖国神社へ送付する。(3)神社側は「霊璽簿」にそれを写し、さらに「索引簿」を作成した上で遺族に通知する。(4)年2回の例大祭の前夜に合祀の儀式を行う…という流れだ。
注目すべきなのはこの中の「合祀基準」だ。これは、戦前では陸軍が、戦後は靖国神社が審査し、天皇に裁可を貰い決定に至る、という形を取っていた。要するにA級戦犯合祀を行うには天皇の了解を取り付けなければならなかったということだ。
1966年引揚援護局はA級戦犯の「祭神票」を靖国神社に送り付けた。しかしこの当時の宮司、筑波藤麿は、天皇家や宮内庁内の空気を知っていたが為にそれに配慮し合祀を差し止めた。事態が急変したのは、その筑波宮司が急逝し、後任の宮司に東京裁判否定派の松平永芳が就いてからだった。1978年松平は宮司預かりとなっていたA級戦犯合祀を行うことを決意し、合祀者名簿を天皇のもとへ持って行く。それを受け取った徳川侍従次長は、天皇の意向に基づき相当の憂慮を表明したが、松平はそれを無視し、独断で合祀を強行してしまう。結果、昭和天皇はこれに反発し、以降靖国参拝は取り止めとなってしまい、今に至るというわけだ。
この秦の主張が正しければ、天皇が靖国参拝を行わないのは、国内、諸外国の情勢に配慮した結果ではなく、ナショナリストであるが故、愚かな戦時指導者たちの罪と自らの責任の自覚故の自主的な決断であり、東京裁判史観批判派はそれを無視した「不敬」の徒、ということになる。天皇は靖国に参拝「出来ない」のではない。東京裁判史観批判派に反発して「しない」だけなのだ。
ちなみに現在、A級戦犯のような単なる「氏子」」を擁護し、神道における「最高祭司」たる天皇の決断を批判する、「不敬」の輩は確実に増加しつつある。小泉純一郎は参拝しないことを「死者にムチ打つ行為であり、日本人には馴染まない」として間接的批判を、石原慎太郎に至っては「天皇は参拝すべき」と直接的批判を行っている。「日本=天皇」という保守派の図式からすればなぜ、こういう人たちが「保守派」を名乗れるのか、名乗ることを許されているのか、僕には想像もつかないのだけれども。
(追記1)
ちなみに。平和主義で知られるクエーカー教徒でもあったエリザベス・バイニング女史の薫陶を受けて育った今上天皇に、靖国参拝を期待するのはさらに望み薄だと個人的には思うので、あの「米長邦雄」のように恥をかきたくなければ、保守派はこの問題については口をつぐんでいた方が利口なのではないか。まあ余計なお世話かもしれないが。
(追記2)
岡崎久彦「靖国参拝 「大戦」切り離しては?」について補足(「gachapinfanのスクラップブック」でもコメントさせて頂いたことだけど)。岡崎は「三木総理が私的参拝と言った結果、天皇参拝の公私の別が議論の対象となって、行けなくなってしまったのである。」と述べ、昭和天皇がA級戦犯合祀がきっかけで参拝を取り止めた、という説を「俗論」としている。結論から言えば、岡崎説こそ俗論のそしりを免れない、ということになる。
昭和天皇が三木の「私的参拝」の年以降参拝していないのは事実だ。が、昭和天皇が毎年参拝していたのなら「それ以降行かなくなった年に何があったのか」は問題になるだろうが、天皇の参拝は元々「数年毎」だった。従って「それ以降行かなくなった年」の話をいくら列挙しようが、殆んど意味は無い。というかそもそも、三木の「私的参拝」が議論がされていたその数ヵ月後の秋の例大祭に、天皇は堂々と参拝してるんだが、それは無視ですか、そうですか。(4.20)
<関連Entry>
「昭和天皇は何を詠ったか?」
「天皇制のあり方」
「天皇を利用しているのは誰か?」


Comment (15)
靖国参拝肯定派は、戦犯がいるから参拝しているのではなく、明治維新以降に国の為に殉じた方がいるから参拝しているのではないでしょうか?
また昭和天皇は参拝中止後も靖国神社に勅使を送っていて、完全に関係を絶っているわけでもありません。
小泉首相の発言や石原都知事の発言が昭和天皇への批判、あるいは不敬に当たるとは思いません。
Commented by: れこ | 2005年02月06日 05:31
日時: 2005年02月06日 05:31
A級戦犯とその他の戦没者を区別すべきというのがあの戦争に対する平和主義者・ナショナリストたる昭和天皇の感覚、自分なりの責任のとり方だったのではないでしょうか。靖国参拝肯定派が「死んだのだから一緒だ」と主張するのは勝手ですが、秦の説が正しければそれは昭和天皇の意向には沿っていないと言わざるを得ませんし、直接的であれ間接的であれそれを批判するのなら「不敬」と言われても仕方ないと思いますが。
勅使がどのような性格のものかは分からないのでそれについては残念ながらお答えしかねます。この勅使が「(天皇の)本心はA級戦犯合祀に賛成」という意味合いのものであると立証されれば、秦説への有力な反論となりうるでしょう。もし詳しいことをご存知であればお教えください。
Commented by: deadletter | 2005年02月06日 06:32
日時: 2005年02月06日 06:32
昭和天皇は、あくまでも"自身の戦争責任に対するけじめ"として、つまり自己を正当化したくないからこそA級戦犯合祀された靖国への参拝を止めたのであって、靖国神社というシステム自体を否定していた訳では無いのではないでしょうか。その表れが陛下の勅使だと思います。
そもそも既に戦犯の方々の名誉回復もなされており、少なくとも我々が、日本を守るために戦った方々や敗戦の責任を以って死を甘んじて受け入れた方々の慰霊のために参拝すること自体は昭和天皇の御遺思と矛盾するものではないと思います。
また、現在の日本の礎となって無くなった方々に対する畏敬の念というのは保守、革新、右派左派関係なくわが国に生きる人にとって当然の感情であり、「保守派の癖に不敬だ」などということ自体ナンセンスです。
勿論、自分の祖父達に唾を吐き掛けたいと考えている少なからずの人たちは、それはそれで内心の自由だとは思いますが。
Commented by: gabbi | 2005年02月06日 07:32
日時: 2005年02月06日 07:32
「昭和天皇が靖国のシステムを批判している」などと僕は言っていません。彼は行きたかったと思いますよ。松平宮司ら特定のイデオローグたちの暴走なかりせば。
行きたい人は勝手に行けばいい。「死んだらA級戦犯もそれ以外の戦没者も同じ」と言いたいのなら言えばいい。ただその主張・ロジックを天皇に押し付けて「だから天皇も参拝すべき」と厚かましいことを言ったり、「天皇に参拝してもらえば錦の御旗を得ることになる」と考えるような奸臣どもに対して「それは不敬ではないか」と言っているのです。
自分自身へのケジメであろうとなんであろうと、彼が少なくとも現在の靖国は自分が参るべき場所ではない(将来何か処置がなされればどうか分かりませんが)、と考えたことだけは確かです。「(天皇が)自分は参拝しないが、一般の人たちには自分の代わりに参拝して欲しいと思っていたはず」のごとき解釈に至っては、根拠レスで、自分たちに都合のいい理屈をひねり出すものだ、とある意味感心します。
Commented by: deadletter | 2005年02月06日 08:35
日時: 2005年02月06日 08:35
昭和天皇に対して参拝すべきであると言ったなら不敬であると言えなくもないですが、少なくとも今上天皇陛下に関して言えば「政治問題を避けるために」参拝を見送っておられるのが現状だと思うのですが。
また、戦争当時の日本の最高責任者としての立場と国民の象徴という立場を混同して論ずるのは意味が無いです。昭和天皇は前者の立場であったからこそ、あえて参拝を取りやめられた。勿論そのご心情は尊重されるべきです。
が、だからといって「今の陛下も参拝なさりたくは無いだろうしそれを求めるのは不敬である」、と言い切るのは論理の飛躍です。そも、今上天皇陛下は戦争当事者ではないわけですし自然とご心情も違ってくるはずですから。
少なくとも現在の陛下が具体的な意思表示をなさっていない以上、手前味噌な論理で陛下の意思を曲解、捏造しているのはどちらでしょうか?
また、そもそも僕は保守派を自認していますがファシストではありませんので、「陛下が現人神である」とか「陛下の意思は絶対」とは思っていませんし、実際に陛下がどうお考えなのかはわかりませんが一国民の立場として意見するのは十分認められると思います。
「保守=天皇狂信者」というような書き方には非常に違和感を感じますね。
最後に蛇足ですが、「死んだら同じ」というのは少々ニュアンスが違います。要するにA級戦犯が祀られているかどうかに関わらず、我々の参拝の意味は変わらない。それはどんな犯罪者でも戦死している方が合祀の対象になっているのと同じです。東条英機たちの行為の全てを正当化しているのではなく、「敗戦、戦争責任を引き受けて死んでいった」という一点において慰霊の対象に含まれる、ということなのです。
Commented by: gabbi | 2005年02月07日 05:36
日時: 2005年02月07日 05:36
要するに、事実から他人の意思を推し量っているわけですが、その推量に説得力があるかないかの話です。したがって事実であると断定はできないわけですが、私自身は、deadletterさんの見解に説得力を感じます。
Commented by: swan_slab | 2005年02月07日 06:37
日時: 2005年02月07日 06:37
天皇に靖国へ参拝していただきたいと願っている戦没者の遺族は少なくないと思いますが、
それさえも不敬だと思われていますか?
Commented by: ハバネロ | 2005年02月08日 00:42
日時: 2005年02月08日 00:42
田吾作は消えた方がいい、マジで。
彼らA級戦犯は一つのフィクションを作るためにあらゆる物をおっかぶって死んだのであってそれがサンフランシスコに繋がってるわけでね。
日本が国際的にしたアナウンスな訳よ、こいつらが全て悪いんですっていうね。
それを否定する(行政の長が靖国を参拝)ってのは戦後の日米安保体制を前提にした経済成長も何もかも否定するってのとイクォールな訳で、知識不足の皆さんはそれを自覚して語ってるんですかね?
真の保守ならばそこを踏まえて今日の発展の為に犠牲になってくれた戦犯の皆さんの行為を無にしないために「敢えて」参拝なんてしないんじゃない?
ま、この国は中央集権型再配分を行う世界的基準からすれば左である自民党が何故か保守とか言われる意味不明な場所だからね。
アナーキストの僕に説教されて恥ずかしくないかね?
Commented by: はまこー | 2005年02月08日 00:51
日時: 2005年02月08日 00:51
gabbiさん。
「少なくとも今上天皇陛下に関して言えば「政治問題を避けるために」参拝を見送っておられるのが現状だと思う」
根拠レスですね。僕は確かに本文では厳密には「昭和天皇」と書くべきところを「天皇」と書きとばしてしまっている部分もありますが、今上天皇に関しては追記で補足してあるはずです。保守派が「今上天皇はきっと自分たちの意見に賛同してくれるはずだ」と考えるのはご自由ですが、あまり期待しない方がいいと思いますよ、というのが僕の忠告です。どうしても、と言うなら止めませんが。
それから別に保守派にとって天皇の意思が絶対とは言いません。ただ、保守派は伝統や自生的秩序というものを尊びますから、この国においてその中心的役割を果たしてきた天皇の存在を、きちんと理論的に定位しない保守派など、保守派の名に値しないことは確かです。あなたが「保守派」を名乗ろうが名乗るまいが僕の知ったことではありませんが、少なくとも日本における保守思想で天皇と無縁のものなどありえません。
「死んだら同じ」については小泉が以前そんなようなことを言っていたので言葉を借りました(「死んだら皆神様になる」だったような)。お気に障ったのならごめんなさい。
スワンさん。
コメントありがとうございます。ちなみに「表現の自由」の問題についてTBを頂いて以来僕の方でも何か応答したいとは思ってはいるのですが、なかなか上手くまとまらず遅れております。すみません。
Commented by: deadletter | 2005年02月08日 05:39
日時: 2005年02月08日 05:39
こちらも塩漬け状態です。全然エントリと関係ありませんが、特別永住者の参政権についてですが、自分のなかでは国籍法のイデオロギーから攻めてゆく方向に傾きつつあります。主権論と関わるとどうしても志向がラディカル(根源的)になりやすいですよね。それが悪いんじゃないのですが、ちょっと重いかなと思っているのです。
>当然の感情
人それぞれじゃないかな。歴史上の人物に対する追慕なんて。
Commented by: swan_slab | 2005年02月08日 09:40
日時: 2005年02月08日 09:40
ハバネロさん。
遺族の中に純粋に天皇に参拝して欲しいという人たちがいるというのは分かります。しかし一部のイデオローグたちが天皇が参拝しがたい状況を作ったのならば、遺族が非難すべきなのはそのイデオローグたちの行動ではないでしょうか。つまり天皇にそのイデオローグのロジックの追認を迫るような形での参拝を求めるのはやはり「不敬だ」ということになるでしょうね。
はまこーさん。
コメントありがとうございます。ご意見はまったくの正論だと思いますが、出来ればもう少し丁寧な言葉使いでお書きください。あからさまに挑発的な文体はコメント欄が荒れる原因にもなりますので。
(追記)
このEntryは「秦説が正しい(僕にとって説得力があった)」という前提となっています。従って秦説そのものへの批判があるなら、「天皇はA級戦犯の合祀に賛成だった」という「説得力のある議論」を組み立てた上でなさって下さい。天皇が直接的言及をしていない以上(政治的発言が出来ないので当然ですが)直接的証拠はありえず、スワンさんが上で言われているように状況証拠を積み重ねた上で、「蓋然性があるか否か」の議論になるのは仕方のないことだと思います。僕がここで用いる「根拠レス」の意味は、状況証拠を積み重ねて説得力を持たせて欲しい、というものなのです。
Commented by: deadletter | 2005年02月09日 05:44
日時: 2005年02月09日 05:44
>要するにA級戦犯合祀を行うには天皇の了解を取り付けなければならなかったということだ。
これは何に基づいて主張されているのでしょうか。
日本国憲法第三条天皇の国事行為・内閣の助言・承認及び責任、第七条国事行為の二条に天皇の為し得ることが列挙されていますが、靖国神社への合祀の了解(了解と言うのも天皇の行為としては軽過ぎる、承認とかにならないのか)というのはどこの条文を言っておられるのでしょうか?
Commented by: Y.Ikeda | 2005年06月27日 05:45
日時: 2005年06月27日 05:45
いかなる法律の条文上にも根拠なんてありませんよ。だから松平は昭和天皇の意向に逆らうことができたのでしょうね(もちろんこれは皮肉です)。
Commented by: deadletter | 2005年06月28日 05:46
日時: 2005年06月28日 05:46
今年こそ首相の靖国神社参拝を
http://s2.kcn-tv.ne.jp/users/seigasai/seikoku3hasimoto.html
天皇が戦犯をどう思っていたか、木戸幸一日記を引用して述べられています。
また、靖国参拝が、サンフランシスコ講和条約のどの条文に違反するのでしょうか?
さて、教理教典の類が無く、統一された信仰が無く、習慣、風習によってその信仰が決まるのが神道です。過去の信仰が残っているのもありますし、新しくできた考え方・習慣から新しい信仰もうまれました。 ですから、同じ神に対して、個人個人で別々の信仰を持つ現象が起こりえるのです。
また、靖国に祀られた英霊達の遺書を読むと解りますが、彼らの信仰もまちまちでした。
つまり、靖国神社で戦勝を願う事もあるでしょうし、慰霊の為に参拝する事もあるでしょう。 また、不戦の為に参拝する人もいるのです。
ただ、どんな信仰にせよ、靖国に参拝することは過去の戦争を意識しての事であり、参拝しないのは過去の戦争を意識していない、忘れた、無視した事であると言えます。
ですから、中国側の主張に沿うように行動するのは、8/15日の終戦日に参拝する以外にないのです。
靖国神社は、単なるお墓ではなく、文化遺産的意味合いを持ちます。
例えば、ホロコースト。
ホロコーストで有名なアウシュビッツ強制収容所に、訪問したら、その人はホロコースト推進者なのでしょうか?
Commented by: 清造 | 2005年08月15日 05:47
日時: 2005年08月15日 05:47
遅ればせながら上記リンク先見てみました。件の発言は前後の文脈からみて明らかに木戸「個人」に関しての評価と解釈すべきでしょう(そこだけを切り取って鬼の首を取ったように語る人が多いわけですが)。そこから「A級戦犯全体」についての思い、と「翻訳」するのは相当強引かな、と思います。木戸は天皇に特に信頼されていた補佐役ですし。またそもそも靖国が祀った「昭和殉難者」14名の内に彼は入っていません。それから、繰り返しになりますが、天皇の御製を無遠慮に用いている点はいただけないですね。
それ以外の点については、Entryと無関係なご指摘ですね。ま、お答えしてもいいのですが。
日本は過去せっかく謝罪を発表しても、その後すぐ閣僚クラスからそれを台無しにするような発言が為される、という繰り返しでした。つまり中国も疑心暗鬼になっているわけです。というわけでいくら口では「靖国のイデオロギーに与しない」と言っても信用されないのは仕方がない。これを「信用しない方が悪い」と言っても始まりません。
また内心と外形的行為は元々それほど明確に区別できるものではありません。ましてや、靖国は一宗教法人であり、しかも、政府が公式的には否定しているイデオロギーを前面に掲げる神社です。そこに、分祀論も代替施設案もおざなりにして参拝する、というのがどういう意味を持つのか、ということですね。
それから参拝しないのは戦争を忘れた、無視したことだ、と言われますが、靖国に行かずに、各地で行われる終戦記念イベントに出かけている人は戦争を忘れているんでしょうか。実に奇妙なご見解ですね。
最後、蛇足になりますが、外交的懸案の解決、という政府本来の仕事より自分の信仰のようなまったくの「プライベート」な事柄を優先させる(しかも状況を悪化させる)というのは、総理大臣としてはいただけない。
参拝に公共的な、政府としてやるべき仕事としての意味がある場合(もちろんこれは憲法上ナンセンスな仮定ですが)や、或いは中国をきちんと説得するなどした上でならまだしも(会社でも仕事をサボって個人の自由を振りかざす人間は嫌われるのではないですか?)。
Commented by: deadletter | 2005年08月17日 05:52
日時: 2005年08月17日 05:52