前者は昭和天皇が1987年8月15日(終戦記念日)の全国戦没者追悼式に向けて、後者もやはり翌年1988年8月15日に詠んだものだ。これは合祀賛成派によって「昭和天皇が(本心は)靖国に参拝したいのだが、政治情勢がそれを許さず残念だ」というように、彼らに都合の良いように解釈されてきた。が、昭和天皇の側近中の側近、徳川義寛(侍従次長)は、前者については、
合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものにしていただいた。陛下の歌集『おほうなばら』に採録された時に、私は解題で「靖国とは国をやすらかにすることであるが、と御心配になっていた」と書きました。発表しなかった御製や、それまでうかがっていた陛下のお気持ちを踏まえて書いた。それなのに合祀賛成派の人たちは自分たちの都合のよいように解釈した。と主張しているし、また後者において、「やすらけき世」=「靖国」→よって天皇は靖国参拝に未練があるのだ、といった解釈が流布していることについても、それも合祀賛成派による全くの手前味噌的俗説であり、天皇は単に平和への願いを詠っただけだと切り捨てている。
歌の内容は極めて抑制的で配慮に配慮を重ねたものであったにもかかわらず、合祀賛成派が、天皇が政治的なことに関して何も口に出来ないことを奇貨として、政治利用しようとしてきた歴史を思わせるエピソードだ。
これは、天皇に何かを要求する時、それが天皇の同意の下にあること、少なくとも天皇の意思に反していないことを忖度する、その最低限の節度さえも、一部のイデオローグたち(あるいはその尻馬に乗る者たち)が持っていなかったということの証左だ。
繰り返す。天皇が何も言わなければ、天皇について何を語っても、何を要求しても良いのか。保守派はもう一度自らの足元を見つめるべきだろう。
(追記)
憲法の謳う「平和主義」の理念がお嫌いで、「戦争はなくならない」という「リアリズム」がお好きな自称「保守」の皆さん。戦争中は「とにかく早く終結させること」を願い、今わの際まで「やすらけき世」を祈った「平和主義者」昭和天皇の歌を、靖国問題にすり替えて政治利用するのではなく、虚心坦懐に噛み締めてみてはどうか。まあ、これも大きなお世話だろうけれども。

