前回のEntry「Hate speechは存在するか」にNakada HiroshiさんのBlog「se acabo」から「なぜ自分の首を絞めるのか」というTBを頂いた。非常に真正面からの反論なのでこれは何かお答えしなければ、と思っていたところ、rir6さんに「自分の首を絞める理由」として先にEntryを書かれてしまった。しかもこれが興味深い整理になっていて、色々考えている内に、さらにまた「se acabo」からの再応答がrir6さんにされたりして、要するに完全に出遅れてしまった。
とりあえず「なぜ自分の首を絞めるのか」の僕に向けられた反論から答えさせて頂きたい。まず簡単なところから。「2ちゃんねらー」というレッテルを用いる理由について。rir6さんが述べておられるように、2ちゃんねるの政治・時事・社会系の板では非常に偏った思想が見られることは確かだと思います。またこの種のテーマを扱う際に「2ちゃんねらー」と言えばその周辺にいる人たち、というコンセンサスはある程度成立している(しつつある)のではないかとも思います(彼らもそれを自認しているきらいがあるというのも、rir6さんの言われる通りだと思います)。
過不足無く要素を包含しているターム以外用いてはならない(それが理想ですが)、とすればそれは現実的には少し厳しすぎるでしょうし。僕のEntryでの「2ちゃんねらー」の言葉の使い方が妥当かそうでないかは読む人に任せますが、まあ許される範囲ではないかと思ってたんですが…ダメでしょうか。
それからもう一つ細かい部分。「信じがたいほど無為無策無能な小泉首相」という記述は僕の立場からでももちろん憲法的保護を受けます。「公人に関する討論は制約されず、たくましく、広く開かれていなければならない」のですから。僕の疑いは、私人に対する、公益性も殆んど認められないような罵詈雑言、ヘイトスピーチは憲法の保護するところではないのではないか、というところにあるので。
僕の立場は、常に市場原理によって構築される自生的秩序こそが重んじられるべき、という前提には立たない、というところにあります。表現をめぐる問題においても「規制があるほうがマシか/無い方がマシか」という議論においてア・プリオリに後者が正しいとは限らないということです。
例えば、イラク人質事件において、外国人特派員協会主催の会見の冒頭、何よりも先にまず謝罪をしなければならないほどに人質の家族が受けたバッシングや嫌がらせを、「more speechで」というのは酷に過ぎるのではないでしょうか。そういう時に適切なバランスをとる為の装置・規制が予めシステムに埋め込まれていることが、かえって冷静で健全な言論空間を創出させることにも繋がるのではないか、とも僕は考えているわけです。
もちろん安易な規制は許すべきではありませんから、その区別を行う組織が出来る限り行政からの独立性を担保されていなければなりませんし、またその権限も濫用されるべきではないでしょう。が、この種の規制自体を端から否定し、「どのような規制であるべきか」は選択肢としてすら考慮すべきでない、という考えを現在の僕は採りません。
それは僕の首を絞めるかもしれません。が、あえて過激なことを言わせて貰うならば「狂った人間は自分が狂っていないことを証明出来ない」ということです。
ちなみに、民主主義の貫徹を制限し多数派の横暴を許さない、というところに憲法の価値が存在すると考えれば、立憲主義というのは憲法による独裁である、ということも言えます。多様な価値の存在を認めるという「相対主義的価値観」の枠組み自体を破壊、相対化しようとする「狂った原理的相対主義者」たちは、いかにそれが多数派を占めようとも、立憲主義の下では退けられなくてはなりません。その意味では(狂った時の為に)僕たちは憲法という独裁者の下で常に首を絞められているのです。同様に、表現の市場においても、自由市場による自生的秩序は無条件に肯定されるべきだとは必ずしも思いません。
最後に。今回の問題がrir6さんの言われるように「自由主義 vs 共同体主義」なのかどうかという点については僕には良く分かりません。「se acabo」さんの僕に対する反論が「自由主義的」というのは多分そうなんでしょうけど…僕のは何でしょうねえ?
(追記)
弁護士の小倉秀夫氏がこの人権擁護法案について法理論的見地から意見を述べられている、というコメントをNN氏から頂きました。「2ちゃんねる」発の反対論が法理論的に洗練されていないという現状を踏まえると、賛成派はもちろん反対派の人からみても貴重なご意見だと思われますので、ご紹介まで。
Ernest Zundel問題
人権擁護法案
続・人権擁護法案
人権擁護法案と憲法


Comment (5)
こんにちは。やりとりを興味深く読ませていただきました。書き込ませていただきます。
前回のエントリーの(1)と(2)ですが、単純化するとアメリカは(1)、ヨーロッパは(2)かなと思いました。あちらでの制度はよくわかりませんので、イメージですが。
なんだかんだ言っても、アメリカ人には「more speech」で差別的言説を駆逐してきたという自負があると思います。探せばヘイトスピーチをする人はいくらでもいるし、ヘイトサイトもたくさんあります。しかし、公共の場、不特定多数が集う場で差別的言説は決して許容されないでしょう。ネット上でもそうだと思います。差別的言説は同種の思想を持った人たちの内輪でしか許容されないでしょう。「2ちゃん」のように、差別的言説とそうじゃないものが混在するような状況はおそらく存在しにくいと思います(確信はありませんが)。日本語のネット空間では差別的言説は無視・スルーが基本となってしまいましたが(じゃないと収拾つかない)、アメリカではどうでしょうか?(英語の空間となるとアメリカ限定にならないし、サンプルも増大になるので断定するのは難しいですね。)おそらく、「more speech」でどうにかなっているのでは?と思います。・・・どうでしょう?
アメリカのヘイトスピーチする人は、自分がヘイトスピーチをしてる自覚はあると思います。他人から見ればそれは「差別・偏見」だと思われるということは自覚しているでしょう。自覚した上で、それが正しいと信じています。日本の場合、ここが微妙なんですよね。自分たちが白人至上主義者などと同じロジックでものを言っているという自覚がない人が多いような気がします。白人至上主義者が黒人などを罵倒するのは不当だが、自分たちが在日や韓国人を罵倒するの正当、みたいな。自分たちは「ソース」や「事実」に基づいてやってるから正当だ、正当な批判だ、みたいな。白人至上主義者も同じことやっているんですがねえ。
ヨーロッパはナチズムを生んでしまった反省から(2)のような考えなのだと思います。といっても、ここ十数年の右翼勢力の成長はすさまじいものがありますが。いや、だからこそ、危険と隣り合わせということを自覚しているからこそ(2)なのかもしれません。(保守勢力が右翼勢力と一線を画すところが日本との違いでしょうか。)ヨーロッパのネット空間はどんなものなんでしょうか?
Commented by: NN | 2005年03月10日 09:24
日時: 2005年03月10日 09:24
あと、ご存知かもしれませんが、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の問題があります。アメリカがこれを批准しない一つの理由(建て前?)は、この条約に(2)の考えを基にした条文があるからと聞いたことがあります。これについては小倉弁護士が人権擁護法案に関連して紹介しています。
小倉秀夫の「IT法のTop Front」
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/7e418ddb4a44c6fd4055e98c952dc552
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/134c77f123fd2121bc520b834b5833ff
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/129a5b3a35e416490ddb067d3139b8e1
rir6さんの分類した「自由主義vs共同体主義」ですが、タームの妥当性は別にして、構図は経済活動や再分配についての左右の理論の違いに似てますね。自由vs平等(公平)。個人の自由のため経済活動の自由を最大限尊重し再分配は最小限に、と真の個人の自由を保証するために経済活動をある程度規制し再分配を重視せよ。どちらが個人をより自由にするのか?どちらが社会をよりよくするのか?
経済の話は置いておいて、表現の自由については、私の理想は(1)ですね。しかし、日本のネット状況を考えると、みなさんと同じように悩みます。オフラインではまだまだ大丈夫だとは思いますが、私はなんだか日本人を信じられなくなってます。数年前までは、日本人は排他・排除フリーな「健全な愛国心」を育むことが可能かな?と思っていましたが、ナショナリズムはナショナリズムでしたね。ご多分に漏れずでした。
Commented by: NN | 2005年03月10日 09:25
日時: 2005年03月10日 09:25
NNさんこんにちは
>ヨーロッパはナチズムを生んでしまった反省から(2)のような考えなのだと思います。
例えばドイツはそうですね。ドイツ連邦共和国基本法には「憲法的秩序・諸国民の協調の思想に反する結社の禁止」(9条)「自由で民主的な基本秩序に敵対するための基本権濫用の禁止」(18条)が明確に規定されています。
Commented by: swan_slab | 2005年03月10日 11:26
日時: 2005年03月10日 11:26
NNさん、コメントありがとうございました。そしてスワンさんもいつもながらの適切なフォローをありがとうございます。
モアスピーチ論か、ヘイトスピーチ論かは容易に決着の着かないところだと思います。ドイツなどは自分たちがかつて「狂ってしまった」という自覚がきちんと生きているのでしょう。一方日本はそこが非常に心許ない。その差は大きいでしょうね。
Commented by: deadletter | 2005年03月10日 21:27
日時: 2005年03月10日 21:27
トラックバックありがとうございました。大変遅くなりましたが、再度トラックバックを打たせていただきました。
Commented by: Nakada Hiroshi | 2005年03月13日 09:28
日時: 2005年03月13日 09:28