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2005年03月17日

不安の共同体

Thinking

rir6さんが人権擁護法案反対派サイトへのカウンターとしてのまとめサイトを作っておられるので、早速クリップ。「言論の自由をいかに考えるべきか」という基本的前提から、法案についての現実的、実践的な話まで分かりやすく整理がなされており、非常に良質のサイトだと思う。

人権関連法案に関するまとめの手助け(臨時)

そして行政側の立場からは「bewaad institute@kasumigaseki」が(webmasterさんは現役キャリア官僚)一連のEntryでこの人権擁護法案を詳細に論じられている。というわけでこれもクリップ。

「人権擁護法反対論批判」その1その2その3その4

特に上記の"その4"=「人権擁護法反対論批判 リジョインダー編(その1)」の中の

人が作る制度である以上完璧なものはないわけですから、濫用されれば悪影響があるといえばそもそも公務員など選ぶことができません。その悪影響がどのようなものか、その生じる可能性はどの程度か、悪影響が生じた場合の救済の難易などを総合的に勘案して制度設計は行うものです
という認識は、この手の議論を建設的に行う上ではまず踏まえておくべきものだろうと思う。反対派の人たちはどうも感情的になって「恣意的な運用(憲法に抵触しうる)を許す法案は違憲であり一切許されない」といったような極論を主張しがちだ。もちろん、破防法や有事法制、盗聴法その他運用次第で憲法に触れる法律については完全にスルーして。分別臭いことを言うのは本来嫌いなのだけれども、それはせいぜい適用違憲の問題なのではないか、と言いたくなる。実際、恣意的な運用の可能性にのみ想像力をたくましくさせても、行きつくところは陰謀論が関の山であり、まともな議論にはなりにくいのではないか。

それよりは日本の差別及び人権侵害の現状や、この法案で果たして実効性があるか、というように「差別される側」、「人権侵害を受ける側」に対してもその想像力を分けてあげるべきではないのか、と僕は思う。つまり自分が加害者(と認定される)になりうることへの想像力と共に、自分が被害者の側(またはその関係者の側)に立ちうるかもしれない、という想像力もまた同時に立ち上げるべきなのではないかということだ。

それからもう一点、この法案の恣意的な運用に対する不安ばかり強調する言説が、どうも擬似共同体を強化する方に向かっていることも僕は気にかかっている。この法案にも「穴」や問題はあるかもしれないが、それが他の法律と整合性が取れないほどのものである、または修正すら不可能であるという論証は未だされていない。

にもかかわらず「いや、杞憂と言われても不安なものは不安であり、つまりは法律論などの論理ではなく感情の問題なのだ」と反対派は口にする。そしてその感情の言説を共有する者たちの間で擬似共同体が成立し、「この不安が分からないのは現実を知らないからだ」、「サヨクだからだ」、「売国奴だからだ」という形で異論も排除され、それは次第に排外性を強め、「純化」「先鋭化」していく。この「不安の共同体」は論理によっては反駁されないし、外部も参照されないので(不安は外部からもたらされる)、相対化がなされにくい。

率直に言って非常に厄介だな、と思う。

(追記)
今気付いたんだけどrir6さんってメチャクチャ若いんですねえ。末恐ろしい。

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Comment (3)

この問題には全くといっていいほどコミットしていないのですが、ちょっと気が向いたので紹介されているサイトをなどをざっと見ました。

印象的だったのは当事者性の薄さです。ジャーナリストや作家(とヘイトスピーカー)を除けば、反対派にも支持派にも「加害者になる可能性のある人」も、「被害者になる可能性のある人」も全然いないように思います(どっちかというと、まとめのサイトの方もそんな感じですね)。

エントリで言っておられる共同体の問題とも重なっているのですが、賛成も反対もイベント化されているような印象です(そもそも、最初からイベント色の強い法律ではありましたが)。

人権を侵害されている人や、「人権侵害」を名目に発言を封じられた人の事例を掘り起こしていくような仕事が行われるといいのにな、と今更のように思いました(もっとも、法案提出の枠組み自体が、そういうことを許さない感じではありましたが)。

NN:

こんにちは。また書き込ませていただきます。

rir6さんには感心させられますね。私も見習いたいです。

『率直に言って非常に厄介だな、と思う。』

宮台氏が、アメリカの9.11、日本の9.17以後の不安を煽り「感情のフック」で動員するやり方が成熟した近代社会でここまで成功しちゃうなんて社会学者たちは驚いている、みたいなことをよく言ってますね。(まあ、日本人は「田吾作」ばかりだと言ってもいますが。)

「自生的秩序をどう考えるか」へのコメントでもちょこっと触れましたが、ネット上の「彼ら」だけがあんな状況ならまだしも、有名知識人やら大手メディアやら政治家までもが五十歩百歩な言説を共有している現状はうーーんって感じです。ネタ(商売)なのかベタ(妄想)なのか・・・。この人権擁護法案に関しても、西尾幹二氏や一部の自民党議員なんて言ってることは「彼ら」とたいして変わりませんね。

イラク人質事件その他についても、保守論壇は「彼ら」の言説を多少マイルドにした程度です。商売もあるでしょうが、互いにシンクロ・補強しあって増幅していますね。『正論』『諸君!』『桜ちゃんねる』『2ちゃんねる』系じゃない保守派の人々はどうしちゃったのでしょうか?あまりにも影が薄いような気がしますね。小林節氏みたいな人たちにもっと頑張ってほしいです。

「テレビタックル」を見ていると、ハマコーさんがやたらと「まとも」に思えてしまう今日この頃です・・・。

deadletter:

あささん。
お返事遅れまして失礼しました。擁護派も「反対派」のレベルに合わせて、行政・司法の無謬性を主張してしまいがちなのはどうか、というご懸念は理解できます。Entryにも書きましたが僕も「適用違憲」なんていう分別くさいことはあんまり言いたくないんです、本来は。

ただ陰謀説が差別意識をエスカレートさせてくような現状(逆に差別意識が陰謀説を駆動させているのかもしれませんが)を鎮静化させる為には仕方ない戦略かな、とは思ってるんです。本来は「差別問題をどうするか」が、実効性のレベルで論じられなければならないはずなのですが…

NNさん。
コメントありがとうございます。お返事遅れてごめんなさい。今回の法案についての議論でさらに裏付けられたと思うのですが、西尾幹二ら「自称保守」の言ういわゆる「リアリズム」が実はいかに中身の無い空虚なものか、ということですよね(Bewaadさんが指摘されている通り、例えば西尾はおそらく今回の法案の条文を全然読めてない)。

でも、その中身の無さ、複雑性の欠如した陰謀論こそがその言説の共有しやすさのポイントであり、だからこそふとしたきっかけを通じて擬似共同体が生まれやすい、ということなのかもしれません。全く「厄介」ですよね。

ちなみに僕は「テレビタックル」は疲れるので観ません。家の人間が観ようとしても強引に「月9」にチャンネルを変えてます(笑)

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