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2005年04月23日

メディア・リテラシー

Memo

「中国こそ恣意的に歴史を解釈 反日デモで米紙論評」(読売新聞)
(現在リンク切れ。全文は木走日記の方でお読みになれます。)

この記事に対し、木走正水さんがカウンター記事を書かれている。( 「木走日記(4.20)」)これによると、ワシントンポストの元記事は、日本が第二次大戦中に為した犯罪について、日本の政治家が認めたがらないこと、不十分な謝罪しかしてこなかったこと、しばしば矮小化しようとすること、を中国側の言う通り「事実」であるとし、また教科書問題についても、一部の教科書の記述が反日暴動の一因となっていることを認めている。にもかかわらず、読売の記事では、その部分が一切抜け落ち、ワシントンポストは中国に歴史問題を語る資格は無い、とだけ主張しているかのごとき筋立てになっている。産経も似たような記事を書いているのだけれども、まあ、率直に言って「牽強付会」のそしりを免れないだろうという気はする。

ちなみに朝日新聞の記事を微に入り細に入り検証し、その「偏向」を暴き、糾弾するのを嬉々として行うヒマな人たちがインターネットの世界では目に付くのだけれども、これからはスコープを広げて、読売・産経新聞の記事にもツッコミまくって頂きたい。それがまさに「メディア・リテラシー」でしょうから。「朝日は偏向しがちだが、読売・産経はバランスが取れている」なんていう「都市伝説」を信じている方はまさか、おられないでしょうし(蛇足ですが、ここに「毎日」を入れなかったのには特に意味は無いです)。

最後に、以前言及させて頂いた記事をここでもう一度引用させて頂く。

note of vermilion「メディア・リテラシー

メディア・リテラシーの言説はむしろ、メディア・テキストをご都合主義的に信じたり信じなかったりする、というか「解釈」する言い訳にむしろ使われている、ということがある。…(中略)…マス・メディアは個人が生活世界の外部と交通する場面であって、その情報を、解釈の名のもとに恣意的に否定することができたら、外部から簡単に閉鎖的な信念を防衛することができてしまう
「メディア・リテラシーが必要とされる」とか、「うそをうそと見抜けないやつ」を馬鹿にする言説には、誰でもリテラシーの有無にかかわらず本質的にだまされうる存在であるという認識がかけているし、メディア・リテラシーが、メディア情報の恣意的な再解釈にならないための歯止めになりうる部分が欠けている
メディア・リテラシーにはひとはだまされるものだという意味で本来的限界があるし、メディアの言説の受容においてテキスト批判や解釈がご都合主義的に用いられることで、自己の信念に情報が従属し、選択的にしか受け入れられない、ということにもなりやすい
朝日を否定しさえすれば「バランス感覚」を保てるのだ、というのは自己欺瞞にすぎない。

(追記)
「中国の教科書は国定教科書で一種類しかない」、というのは正しくないという指摘。確かにこのページを見ると、中国の教科書制度は日本と大まかなところではそれほど違いが無い。で、上の記事を再度見直すとWP紙は「中国ではたった一つの歴史観しか許容されない」と書いていて、「たった一つの歴史教科書しか許容されない」とはなっていず、慎重な言い回しになっている。

ちなみにJonahさんへ。24日の町村信孝の発言については、読売の記事では「歴史の解釈が1つしかないなんて、こんな馬鹿なことはない」となっているんだけれども、一方共同の記事では「歴史教科書が1つしかないなんて、こんなばかなことはない」となっています。後者であるなら間違いですが、前者なら必ずしもそうとも言えないところが何とも微妙です。まあ共同の「国定教科書云々」の発言が事実なら、後者である可能性は高いんですが。

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Comment (2)

初めまして、木走です。拙稿にトラックバックいただき、また貴エントリーで取り上げていただきありがとうございます。

 貴兄のメディアリテラシーに関する論説はとても興味深くかつ私の実践しようとしている「ブログによるマスメディア批判」とその背景にあるネットリテラシー論に通底していると感じ、とても心強く拝読させていただきました。

 おっしゃるとおり、現在ネット上では、朝日新聞批判が花盛りでありまして、かくいう小生も何回も批判してまいりましたが、読売・産経系を批判するサイトは極めて稀でありますよね。かなり偏っているよなあとかねがね感じておりました。

 私のブログでは、産経も読売も批判してまいりましたが、興味深いのは今回もそうなのですが、産経・読売系を批判すると、コメント欄に名乗らない方からのエントリー批判とか、すぐにいただいちゃうんですよね。少し困った現象だなあと思っております。

 健全な批判精神の元では全てのマスメディアが批判対象であるべきであると思っております。個人的には、なにかしらの「大義の支持者」に陥ることなく、あくまでも「真理の探究者」でありたいと、願っております。

 今後ともよろしくお願いいたします。

deadletter:

木走まさみずさん。わざわざご来訪頂きありがとうございます。

木走さんの力作の検証記事に対して重箱の隅をつつくような低レベルのコメントをつけて来る人など無視(or削除)して構わないと思います(LA紙の社説は木走さんの言う通り、読売の記事の本論ではないのは明らかだと思いますが、それでも文句があるなら、自分で訳して反論すればいいわけです)。

まあ、分かる人には分かっているはずですので、些細なことは気にせず、これからも素晴らしいEntryをお書きになって下さい。

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