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2005年06月17日

真の正嫡を巡って

Notes

花田兄弟を巡る騒動を見て思ったこと(以下の文章は多分に個人的な憶測・妄想によって構成されていますので悪しからず)。

報道をざっと概観して感じたのは「父・長男」の関係は良好だったのがほぼ常態で、こじれていた期間というのはごく例外的(具体的には勝氏が相撲協会から脱退した時)である一方、「父・次男」の関係はこじれている状態のほうが多く、良好である時の方が例外的だ、ということだ。

光司氏がどれだけメディア上で勝氏や母である憲子さんを「父を悲しませた」と非難しようと、見ている視聴者(というか僕)からすればどうしたって「おまえもな!」と突っ込みを入れたくなるわけで、それが発言量の圧倒的な非対称にもかかわらず、なかなか「弟支持・兄批判」という流れになっていかない一因であるように思う。

一方で光司氏は父を「最強の力士」、「優秀な親方」として(今でも)尊敬している、と語る。もちろんこれを「方便」と考えてもいいのだけれども、彼がここまでテレビに露出して自らこそが父の遺志の継承者であると主張し続けていることに鑑みて、仮に「本心」であるとすると、この食い違いをどう考えたら良いのか、ということになってくる。

僕はこう思う。光司氏は父を確かに尊敬していたのだけれども、それは「力士」・「親方」として純化された「イメージ」としてのものだったと。光司氏は土俵の上で闘う父に、厳しい指導で相撲の何たるかを叩き込もうとする父に、力士のそして親方としての「本質」を見出した。彼はそれを尊敬していたのだと。

とは言え、残念ながら現実の父はその純化されたイメージに忠実ではなかった。婚約破棄問題で右往左往し、兄との直接対決の際には八百長を示唆し、また家庭内不和を収拾しきれず、最期にはアカの他人に看取られながら死んだ父は、彼のリスペクトすべき対象とは大きくかけ離れたものでしかなかった。けれどもそれらは父の「本質」ではない。リアルな父は寧ろ「本質」にたまたま付け加わった付随的な部分に過ぎない。彼はそう考えていたのではないか。だからこそ彼はものを言わぬ満氏を目にしてようやくホンモノの父と再会できた、と思ったのではないか(伝え聞くところによると彼は通夜の際父の亡骸に黙って体を寄せしばらく抱擁し続けたという)。

つまり彼は自分こそが父の本質的な部分を継承した「真の正嫡」だ、と考えているのだ。とすれば生前、リアルな父との間に多少のいさかいがあろうとそれは大したことではない。それはしょせん父の付属部分でしかないのだから。自分と父は本質において繋がっているのだから。勝氏や他の親族が生前の、リアルな父の言動を盾にしてこようと、光司氏にしてみればそれは寧ろ逆に彼らが父を理解していないことの証左でしかない。そして批判されればされるほど彼はこう思うことだろう。

「なるほど。やはり真の正嫡は私だ。」

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