6/4の読売社説について、そこここで「転向しやがって!」といった怒りが渦巻く昨今ですが、さてそもそも読売の靖国に対するスタンスはどんなものだったのだろうか。Web上で読める読売新聞の靖国に関係すると思われる社説を時系列で色々と集めてみた。
2001年小泉が首相になって初めて靖国に参拝した時(終戦記念日ではなく「前倒し」参拝でした)の読売社説「前倒し参拝は適切な政治判断だ」。
2003年は前日小泉が初詣として参拝したことを受けて1/15「首相の考えがわかりにくい」と終戦記念日の8/15の社説「『A級戦犯』とはなんなのか」。
2004年は4/4「『靖国』問題を対日カードにするな」と8/15の「『BC級戦犯』をも忘れまい」。
2005年は5/25「最低限の国際マナーに反する」と6/4「国立追悼施設の建立を急げ」。
僕なりのまとめを簡単に。
読売は2001年から代替施設建立に反対はしていない。従ってその点では一貫していると言える。ただ一度前倒し参拝を「適切な政治判断」と評価しておきながら、2003年の初詣参拝を「時期はいつでもいいのか」と怒ったりして、意味不明。また「本来戦没者の追悼については他国にとやかく言われる筋合いの問題ではない」という点でも割と一貫しているが、例えば代替施設の建立の目的については「国際的な摩擦を避けるため」という言い方をしたりするところも、靖国参拝支持派にすれば「煮え切らない」という印象になるかもしれない(ちなみに2005年6/4の社説ではその目的を「国内に反対派がいる*1から」というものにシフトさせている)。
感情的に噴きあがってみたり、合理的に割り切ってみたり、バランスがいいのか日和見なのか判断のつきかねる新聞社ではある。ちなみに特に個人的な感想は無いです。「ふーん」って感じ。
*1自社の現「主筆」の影響があるのかもしれない。
靖国神社に昇殿し、記帳し、宮司のおはらいを受ける「公式参拝」は、すぐれて政治的行為だ。小泉首相が純粋に宗教的、精神的な行為だというなら、深夜か早朝に人知れず参拝すればよい。A級戦犯の七人は、戦死ではなく刑死である。私は東京裁判の判決が絶対的正義だとは思わぬが、太平洋戦争の何百万という内外の犠牲者を出した責任、あの凶暴な陸軍の行動基準を推進した責任(陸軍二等兵だった私は、今でも許せないと思っている)、憲兵、特高警察による暴力的思想統制の立案、実行責任等については、日本国民自身による歴史検証を経たうえで罪刑の普遍的妥当性を判断すべきだ。(文藝春秋より抜粋)

