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2005年09月24日

「ムダ」という概念について

Thinking

気になっていることがある。

ある特定の選択肢、案件は当然ながらそれ単独で「ムダ」かどうかは言い得ない。僕たちは、その案件と他の案件とを比べてどちらが相対的に有用かという考慮を経た上で初めて、どちらか一方を「ムダだ」と判断する。

あの金で何が買えたか例えば、「あの金で何が買えたか」を読めば多くの人が、経営破たんの後始末に使われたお金が「いかにムダであったか」という印象をうけるだろう。それはあの本では村上龍氏が「他の選択肢」を提示し、それがいかにも魅力的であるかのように描いているからだ。つまり彼は自分が提示した「他の使い道」の方が有用だ、というコミットメントを行っていることになる。

ある特定の選択肢を有用である、またはムダである、とするコミットメントを僕たちは普通「理念」とか「価値観」とか呼ぶ。

だからこの村上氏の書いた本は、一見数字に基づき客観的に議論しているようで、実は徹底的に個人的な、彼の価値観を示した本である。そしてその価値観をいかにも魅力的なものとして提示しようとしている、という意味で良くも悪しくも「とても上手なプロパガンダ」本でもある。タイガー・ウッズに金を払ったり、芝のグラウンドを作ったりするよりも、大きな金融機関の破綻処理の方が重要だ、という考え方は当然あっていいのだ。それがその後のダメージを軽減したり、波及効果を最小限にするのならば、ゴルフのうまい奴が近くで見られるなどと呑気にはしゃいでる場合か、という批判は十分に成り立ちうる。

さて、冒頭の「気になっていること」、というのは民主党の新しい代表である前原誠司氏が掲げる「税金のムダ遣いを徹底的に無くす」というスローガンである(同じようなことは前代表の岡田克也氏も言い続けていたので、これは彼に限った話ではないのだけれども)。

これまでの議論を踏まえるならば、「ムダ遣いを無くすこと」それ自体は、理念や方針になりえない。「ムダなもの」それ自体が存在するわけではなく、あるものをムダだと判断する主体が存在するだけだからだ。民主党にはヴィジョンがない、と批判されている時に、求められているものはつまり「あなたたちは何をムダで何を有用だとするのか、その判断基準を示せ」ということだ。それに対して「ムダを無くすことだ」と答えるのならそれはオウム返しに過ぎない。

これは「聖域なき構造改革」という一昔前に流行った言葉にも言える。蓮實重彦がどこかで言っていたのだけれども、政治とは本来「聖域」を作るもの、これは必要(有用)でこれは不必要(ムダ)だというプライオリティーを明確にするものではないだろうか。この言葉を発明した人間の思想的貧困さも驚くべきものだけれども、その土俵に乗って自民党が100億円削減なら民主党は150億削減だ、といった類のバカバカしく、不毛な数字論争を彼らが繰り広げる限り(新代表の話を聞く限り、その傾向は続きそうだ)、これからも民主党には期待は出来そうにない(個人的にはいわゆる「対案」とは村上氏のように出すものだ、と思うのだけれども)。

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