インターネットの世界ではほんとうに「何を言ったか」のみが重視されているのだろうか。
例えばネットでよく使われる「ダブルスタンダード」批判というものがある(僕もよく使うが)。これは今為された主張・言明が妥当であるか否かという判断自体をとりあえず括弧に入れて、過去の言動・主張との整合性の無さ、矛盾を批判するというものである。
このロジックの肝は「~という言動は間違いなく過去においてその人が行ったものである」というように属人的な特定が為されることである。つまり「それを言ったのは誰か」を特定することがダブルスタンダードを指摘するには不可欠だと言える。
似たような論法としては「どの口がそれを言う(お前が言うな)」とか「また~か」といったものが挙げられるだろう。またある問題が持ち上がったときに為される「検証」、「まとめ」作業では、批判の対象になった人の人間関係、経歴等が「真っ先に」調べあげられるのは寧ろ普通である(検証サイト・まとめサイトにおける「属人性」へのこだわり・関心は通常「並々ならぬもの」がある)。
さらに、例えばある事件の裁判について、批判者自身が気に食わないと感じる判決が出た時、それを法理論的に検討するのではなく(中身を検討するのではなく)、裁判官の経歴等を参照して、「偏向した思想の持ち主による偏向した判決」というまさに属人性批判がなされることもこれまたしばしば見かける光景である。
このようにインターネットにおいては、為された言明がそれ自体で妥当であるかどうかがリテラルに判断されるケースが殆どであるという認識がそれほど妥当だとは思えない。
そもそもこういうことを言っている人たちは、自分の知らない分野に関する言説について、リテラルに「何を言っているか」を自力で解釈するということが出来ると思っているのだろうか。事実、困ったことに僕たちの世界に関する情報の殆どは、僕たち自身でその妥当性をチェックできない、専門外の領域の情報であるのだ。
専門外の情報について知りたい時、僕たちはその分野の専門家に頼らざるを得ない。つまり「誰が言っているのか」に着目せざるを得ない。国会で重要法案が審議されている時その解釈について弁護士のBlogがはてなブックマークで注目を集めたりすることはいまやありふれた光景だし、ライブドア事件も専門性が高い事件な為かネット上でも会計士などの意見がよく参照されたりしていた。さらに付け加えるとするならば僕は、自分の不案内な分野の本を買う際に、参考にし、信頼する書評子を幾人か「常備している」。つまり「誰が薦めているか」が僕にとっては非常に重要なのだ。
いずれにせよこれらは「何を書いているか・言っているか」ではなく「誰が書いているか・言っているか」に着目した態度である。あえて言うならばインターネットでの情報検索はここ数年、実名の専門家の参入の増加によってより豊かになっているという実感の方が個人的にはやや強い。
ちなみに今回参考にさせて頂いたのはSchwaetzerさんの1/29のEntry。
ネット時代だって「誰が言ったか」ばかりを取りざたしているじゃあないの。
(追記)
sarutoraさんから『「誰が言ったかの詮索をすること=めでぃありてらしー」とされているような気もする。』という ブクマコメントを頂きました。私見ですが(というより単なる思い付きに過ぎませんが)僕も匿名性が特質とされるインターネットでは、いまや「誰が言ったか」について過剰に注目しがちであるという逆説的な事態が生じているような気がしています。
例えば、旧大日本帝国批判、旧日本軍批判を行うと相当程度の割合で付けられる「あなたは日本人ですか?」というコメント。或いは、先述したように気に入らない判決を出した裁判官に対する属人性批判。そしてsarutoraさんの仰る通りその手の読み解き方こそが「メディア・リテラシー」として称揚されがちなわけです。
結局言説の内容・情報の濃度それ自体が吟味されるのがインターネットメディアなのではなく、それどころか、それは言説の中身の評価が「属人性」に基づいて為されがちなメディアなのではないか、ということです。
そして僕はそれが「匿名性」ということと無関係であるように思えません。つまり名前も属性も分からない人間の言説をリテラルに受け止めることへの過剰な警戒感が、逆に過剰な属人性へのこだわりを惹き起こすのではないか、というのがさしあたっての僕の考えです。匿名性が、インターネットの住人達をして常に相対的に高い警戒感を持ち続けることを強いている、というか。もちろん、ある言説の中身それ自体をきちんと吟味するより、属人性にも基づいて処理してしまった方が情報を消化するコストが圧倒的に安く上がる、という点もあるとは思いますが。


Comment (6)
「誰が言ったか」というか、その中身は権威主義批判だと思うんですよね。
そうであれば、権威臭いモノが何かを言えば妬み半分に批判されるし、名無しが言えば無視されたり妙に感心されたりする。
元々期待値の違いが大きいですし。
又、過去発言との整合性が問題になる場合とならない場合もあるし、端から問題にしない層もあると思いますよ。
文句を付ける人は何をやっても文句を言いますし、誰にも全く瑕疵の付けようもない発言なんて、たぶん無意味ですよ。
批判されるにも拘わらずそれでも有意な有り様というものでしか存在できないと思いますよ。
Commented by: トリル | 2007年01月31日 00:35
日時: 2007年01月31日 00:35
トリルさん。はじめまして。
「元々期待値の違いが大きいですし。」
つまり僕はこの辺が少し気になるわけですね。その発言者は誰でありどのような属性を持っているか、という要素がインターネットでも重要視されていると思わざるを得ないわけです(それどころか過剰に重視されすぎるきらいすらあるのではないかと)。
Commented by: deadletter | 2007年01月31日 08:54
日時: 2007年01月31日 08:54
>発言者は誰でありどのような属性を持っているか~インターネットでも重要視されている
そうですよ。
だから、名無しが内容を見てくれと叫ぶんですよ。
名無しでも内容あるでしょ?と。
ネット内で言われてるアレは、反語みたいなモノですよ。
それでもメタ論まで行くと、つまり揚げ足取りなんて無意味なレベルまで論壇が進むと、結構、個々の発言がフランケンシュタインみたいな寄せ集めになってくるから、アレも真理めいてくると思うんですがね。
Commented by: トリル | 2007年02月02日 17:48
日時: 2007年02月02日 17:48
なるほど。「インターネットでは内容のみで判断される」というのは実現していないからこそ、実現して欲しいという願望だったわけですね。
Commented by: deadletter | 2007年02月02日 20:44
日時: 2007年02月02日 20:44
関連でBBさんのエントリーを挙げておきますね。
ブログ世界はフラットではない---「アルファブロガー」の孤独なセクトが生まれるわけ。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2007/02/post_9385.html
Commented by: トリル | 2007年02月03日 20:30
日時: 2007年02月03日 20:30
トリルさん。ご紹介ありがとうございました。興味深く読ませて頂きました。
Commented by: deadletter | 2007年02月03日 20:48
日時: 2007年02月03日 20:48