(引用元)大沼保昭『国際法 はじめて学ぶ人のための』
(A)条約は文書による合意のみを指すか?
(条約法)条約は、国家間の文書による合意のみを条約と定義するが、これは国際組織が当事者となる条約や口頭の条約を否定する趣旨ではない。このことは、条約法条約草案を作成した国連国際法委員会(ILC)の草案2条の注釈でも明らかとされている。実際にも、国際組織が当事国となる条約も、口頭の合意も国際関係において条約として扱われている。成文法が基本である日本においても、口頭による契約、暗黙による契約も(争いになったときに立証が難しいだけで)一般的には有効とされているわけで。要するに明文よりも合意が優先するのではないのか、という話。
(B)条約の解釈はどのように行われるのか?
条約の解釈に関しては、条約法条約は、文脈及び条約の趣旨と目的の両者に照らして与えられる「用語の通常の意味」を基本的な解釈基準とする(31条1項)。ここで「用語の通常の意味」とは条約の文脈におけるその用語の検討と条約の趣旨、目的に照らして得られる意味である。条約に書いてあることが全てじゃないよね、という話。文脈とは条約文、条約締結に関する全当事国の条約の関係合意、条約締結に関してある当事国が作成した文書で他の当事国が関係文書と認めたもののすべてを含む広い概念である(同2項)。条約締結の際交わされる交換公文、交換書簡、合意議事録といった文書がこれに含まれることになる。文脈とともに、条約の解釈・適用につき当事国間でなされた事後の合意、そうした合意を確立するような事後の慣行、国際法の関連規則も解釈に際して考慮しなければならない。
次に日中共同声明締結にあたっての両国の外交交渉の記録、議事録等。
周恩来総理主催招宴における田中角栄総理挨拶
田中総理・周恩来総理会談記録
大平外務大臣・姫鵬飛外交部長会談(要録)
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
大平外務大臣記者会見詳録
日中国交正常化の際の大平外務大臣及び二階堂内閣官房長官記者会見詳録
田中総理大臣記者会見詳録
僕がこれらを読んでいて思うのは、中国としては「ある意味」で「寛大な」意味合いを込めて「二分論」を提示したのだなあということ。日本としては中国側に損害を与えたことに率直に反省している。軍国主義にも否定的評価を下している。例えば大平外相は
今次田中総理の訪中は、日本国民全体を代表して、過去に対する反省の意を表明するものである。従つて、日本が全体として戦争を反省していると平謝りしている。それに対し中国の外交部長は
中国は日本の一部の軍国主義勢力と、大勢である一般の日本国民とを区別して考えており、中国の考えは、むしろ日本に好意的である。と寧ろ助け舟を出しているという構図だ。
もちろんこれに対し日本は二分論をとっていないではないか、と言えることは言えるのだが、そうすると日本は大平の言う通り「国全体が悪かった」ということになってしまい、かえって「自虐的」な話になってしまう。あるいは「本当は国全体が悪かったのにもかかわらず中国は許してくれた」という、中国側が「より寛大であるような」ストーリーになってしまう。
大平外相が記者会見で中国に
中国側といたしましては戦勝国であり,被害者の立場にあられます。したがいまして、いかような請求も可能である立場にあるにもかかわりもせず、賠償請求権を放棄されたということに対しましては率直に評価しなければならない、というのが日本の立場であります。と感謝を述べていることから、中国の助け舟に便乗した、と言わざるを得ないのではないか。つまりほとんど合意に近いものがあったと言うべきではないか。
安倍晋三が「軍国主義者の責任と一般国民の責任は分けられない」という主張をするのは勝手だが、だとするならば一体彼はその後にどんなストーリーを続けるつもりなのだろうか。日中戦争が自衛戦争だったとか、やむをえない戦争で誰にも責任はない、と言いたいのなら別として、仮に日中戦争=侵略戦争と認めるならば、中国側の「ある意味」で言うところの「厚意」を蹴る事に何の意味があるのか、全く理解に苦しむと言うべきだろう。そして実際、田中・大平はそれを蹴らなかったのである。(ちなみにあれを自衛戦争で日本に責任はないと言うなら、それは日中共同声明そのものの否定、そして村山談話そのものの否定である)
もちろん安倍は日中共同声明を否定し、村山談話を否定し、あれを自衛戦争だと言いたいのかもしれない。とするならば、それはきちんと国民に言うべきではないか。日中外交の基礎たる条約を否定し、これまで積み重ねてきた日中外交を否定するという重大事に関するアカウンタビリティはネグっていいものではないはずである。

