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2007年09月04日

「忘れる」についての覚書

Thinking

「忘れる」には2つの様態が存在する。

(A)対象についての確定記述の一部(或いはほぼ全部)を忘れるというもの。(B)何を忘れたのかすら忘れてしまっているという絶対的な忘却である。

さて「忘れる」という場合普通(A)を主に考えてしまうかもしれないのだけれども、僕の感覚では実際にありふれているのは(B)である。ここで「覚えている/忘れる」をよくある「倉庫モデル」で考えるとしよう。しかしあなたはいまその倉庫の中に何が入っているか分かるだろうか?あなたが必死に内省を行ったとしても、その「棚卸」は不可能であるように思われないだろうか?僕たちは「何を忘れたか」すら分からないのと同じように「何を覚えているか」すらおそらく分かっていないのではないだろうか(あなたが一夜漬けのあと試験場に向かう際ですら、自分が何を覚えているか正確に把握することは出来るだろうか?)。

「倉庫の棚卸」がおよそ出来ないということは、「何を忘れているか(何が倉庫に存在しないのか)すら忘れている(分かっていない)」という事態=(B)こそが僕たちにおいてほぼ常態化しているのではないかということだ。

ところで「何かを忘れた」という場合=(A)の場合、その前提としてある種の「経験」の存在が不可避に要請される。例えば国文学科に所属し日本の古典文学を専門的に勉強している学生が、「志村・谷山予想の証明を忘れた」と主張することは「通常」認められない。当該対象に接触したという「経験」が無ければ、「忘れた」というよりも「知らない」というべきなのである。

けれども「絶対的忘却」=(B)において「知らない」ことと「忘れている」ことの差異は限りなく小さくなる。「何かと接触した」という経験自体が倉庫の中で行方不明になっているのだから、(B)は「知らない」とほとんど同義である。そして(B)こそが常態である以上、通常「忘れた」と「知らない」は等しいといってよい。また(B)が常態化しているとすると、「~を覚えている」とは、通常、適切な文脈で適切なアウトプットを行うことが出来ること以上のものではないことになる。従って通常、記憶は内観によってのみ接近可能な=私的な何かではなく、観察可能で、客観的なものである。

ここまでの考察が正しいとすると、「~を忘れるな」とは、つまるところ「適切な文脈で、適切なアウトプット(振舞い)をせよ」という命法に他ならないことになる。

ところで「何を忘れてはならないか/忘れてよいか」というコードは、各共同体の秩序の基盤となる。例えば「忘れてはならない」とされるのは共同体の成立の正統化の「物語」である。逆に「忘れてよい(忘れるべきだ)」とされるのは当の共同体が成立する際の排除と暴力の「物語」である。

さて「絶対的忘却」=(B)こそが僕たちの本性であるということは、僕たちはこの社会に存在する価値序列、秩序といったものを解体し、無みしてしまう傾向を常に持つ存在だということである。「忘れる」ことに常にネガティブな評価がされるのには、そこに要因があるのである!(陰謀論!)

(参考リンク)
「忘却」を扱った論考として現代宗教哲学を研究されている佐藤啓介氏のものを紹介しておく。
忘却論(1)「忘れること」
忘却論(2)「思い出すこと」

(関連Entry)
「被害者の人権」は普遍的か?
「忘れる」という権利

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Comment (2)

こんにちは

思うところがあったのでこちらにも書き込ませていただきます。

忘却には二種類ある、という区別には大いに賛同いたします。ただ、deadletterさまの定式化の仕方は、佐藤さんのそれと同じく少し問題があるような気がします。というのも、二つの忘却がどちらも結局は経験的な次元で捉えられているからです。

もし「絶対的忘却」というものをちゃんと定式化するならば、それは経験的な次元とは区別された次元で考えるべきであるように思えます。まずはプラトンの『メノン』から出発しつつも、「魂の遍歴の神話」を相対化して、ある種の超越論的な忘却というものを考えてみるという道筋がいいのではないかという気がします。

僕は佐藤啓介氏の痕跡論についてはきわめて高く評価しているのですが、忘却という問題についてはこの痕跡の問題と切り離せないのではないかと考えています。プラトン一つとっても、『パイドロス』や『テアイテトス』にみられるように、忘却はつねに痕跡と関係しています。

deadletter:

voleurknknさん。コメントありがとうございます。
「痕跡」が内在するだけではなく、外在或いは偏在するものであるという意味であるならば、僕はvoleurknknさんの御意見に全く異議はありません。

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