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2007年12月30日

「本当に困っている人」とは誰か

Thinking

少し前の話題の蒸し返しで申し訳ないのだけれども。

インターネット上で「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれ、問題視された事例があった。重い心臓病で移植手術しか助かる見込みのない少女の親御さんたちやその友人らがその費用をまかなう為の寄附を募ったことに対して、彼らの公表する会計データに一部不透明なところがあるとして、それを「会計責任を果たしていない」、「詐欺同然」と糾弾する人たちが現れたのだ。

僕の興味を引いたのはこの問題の糾弾者たちが、「少女の命を救うなと主張したいのではなく、会計責任を果たしていないから批判するのだ」という論法を採っていたことだった。だがしかし一口に「会計責任」と言っても、お金を集める際の規模、目的等によって果たされるべき責任の程度は様々に異なる。仮に批判者達が言うような「厳格な会計責任」が求められるとするならば、それはどのような理由からなのか?

様々な理由らしきものが語られてはいたので細部に立ち入ることは避けたいのだけれども、大まかに言ってしまえばそれは「本当に困っている人たちの為にリソースを配分するため」lということだった。どういうことか。

弱者に配分されるリソースは有限である。そしてリソースは弱者の中でも「本当に困っている人」から優先的に配分されるべきである。しかし会計等の公表されるデータに誤りがあれば、リソースの資源配分に「歪み」が生じてしまう。またその「歪み」が看過され続ければリソースの配分に対する社会的支持が失われ、リソース自体の縮小に繋がり、ひいては「本当に困っている人」にリソースの配分がなされなくなる。とまあ、だいたいこういうことらしい。

これを聞いて「もっともだ」とうなづく人は多いのだろうか?そうなのかもしれない。確かにこのような「リソースは有限である」という誰しもが否定し得ない前提から様々な結論を引き出す言説は至るところに見られる。例えば少し前には山形さんがその論法でイラクで人質になった人たちを批判して話題になったことがあった

けれどもそもそも「本当に困っている人」というのは誰なのだろうか?どんなに困っている人であっても生活の中で何らかの切り詰める余地、生活上の無駄を省く(経済的な話だけではなく、時間の使い方を含めて)こと、或いは選好の不適切さを指摘することはおそらく常に可能だろう。とすればほとんどの人間・或いはもしかしたら「本当に困っている人間」など誰もいない、という結論さえ導くことが出来そうだ。

リソース有限論は、理想の「本当に困っている人」(「非の打ちどころの無い被害者」と言い換えても同じことだが)の追求につながり、得てして「本当に困っている人」の「イデア」が作り上げられることになりやすい。難点はそれが現実には存在しそうもないことであり、利点は「困っていると訴える」人の粗探しをしてどこか一つでも難癖を付けられればリソースの分配を拒絶=節約できるということである。

リソース計算が不必要だと言いたいのではない。ただ、完璧なリソース配分がありえず、完璧なリソース計算がありえず、完璧な弱者・非の打ちどころの無い被害者が存在し得ないことを弁えないリソース有限論はいくらでもそれを節約し、弱者に配分しない為の正当化の口実になりうる(もっと言えばそれに「しか」なりえない)ということ、また自分の意に沿わない弱者・被害者を拒絶する為「だけ」の方便となりうることは指摘しておきたい。

以前書いたEntryに引き寄せて言えば、「困っていると今目の前で訴えている人」とイデア化した「非の打ちどころの無い被害者」を比較してどちらにリソース配分すべきか(=どちらがムダな支出か)を比較してしまえば、前者への支出は留保すべきという結論が導かれるのは自明だからである。

(追記)
少し話は違うのだけれども参考というか触発されたEntryを挙げさせて頂く。
Arisanのノート「『越境の時』を叱る

(関連Entry)
「ターゲット」の政治性?

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Comment (2)

shoaufal:

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51227485.html
ブクマにこちらの日記のURLが貼られてたのでそこから飛んできました。死ぬ死ぬ詐欺の事を書かれてますがよく調べてから書かれてはどうでしょうか。

死ぬ死ぬ詐欺はNHK職員で冬のソナタのチーフプロデューサーの高橋氏の娘さんの心臓移植のための募金活動が発端で始まったものです。

高橋氏は業界では少し有名なプロデューサーで給料も普通のNHK職員より高く、自宅は1億円以上する豪邸だったらしいです。娘さんの手術費が1億ぐらいかかるということで募金活動してたらしいですが御自身で充分払える額だったみたいです。

しかも高橋氏はNHK職員という身分を隠し、上田という偽名で娘さんの募金活動をしており、それに気づいた実際に募金したか人からの相談が2ちゃんねるに書き込まれた事から死ぬ死ぬ詐欺という祭りが始まりました。

なおかつ娘さんは検査の結果、心臓移植をする必要性がなかった事が発覚したらしく祭りに火を注いだらしいです。

検索したら色々出てくるので調べてみたらどうでしょうか?
とりあえず会計に問題があった事件とは別だと思います。

deadletter:

shoaufalさん。コメントどうもありがとうございます。

今のところ特に言うべきことはありませんが、そうですね…とりあえずshoaufalさんご自身「検索したら色々出てくるので調べてみたらどうでしょうか?」

その上で僕の書いたものをじっくりお読みになって、それほど的が外れているかどうかを検討されても遅くはないと思います。人生そんなに生き急がれる必要もないと思いますので。

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