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2008年04月01日

シニシズムの放棄について

Notes

mojimojiさんの一連のEntry周辺の議論。

排外主義者、あるいは日曜サヨク
排外主義者、あるいは日曜サヨク、その2
排外主義者、あるいは日曜サヨク、その3
排外主義者、あるいは日曜サヨク、その4

論点は2つ。
・ネット右翼がなぜ中国のチベット支配を批判できるのか?
・中国のチベットへの抑圧を批判する為に左翼・人権派とネット右翼・保守派は共闘すべきか?

前者について。左翼・人権派がチベット問題を「ネット右翼が満足するようなかたちでは」取り上げていないこととチベット問題に類する人権問題に関してネット右翼がどのような態度を取ってきたかということは同列に並べられるべきではない。

仮に左翼や人権派のチベット問題への関心が相対的に低かったとしよう。しかし人間が有限的存在であって、あらゆる問題へコミットすることはできない以上、それは矛盾とまでは言えない。もしチベット問題について左翼・人権派がどのような立場をとるのかを知りたいなら、mojimojiさんが言われるように単に尋ねてみればいいのである。ちなみにほとんどの場合「中国政府を支持しない」という答えが返ってくるだろうけれども。

しかしネット右翼は事情が異なる。これまで彼らは人権問題を取り上げてこなかったのではなく、人権問題への取り組みを「冷笑」してきたのである。戦争責任・人権問題に取り組む人間を「プロ市民」と嘲り、偽善者扱いをしてきたわけである。その彼らがなぜ「チベット問題はコミットするべき」だと主張するのだろうか?チベット問題は人権問題ではないのだろうか?例えばこれまでもチベット問題を人権問題として取り上げてきた人間は存在するわけだけれども、彼らは「プロ市民」・「偽善者」ではないのだろうか?

さらに言えばネット右翼の多くは例えば「嫌韓流」といった本の記述を肯定的に捉えて「日本は韓国・台湾に良いこと=近代化をしてあげた」とか「日本の植民地支配は日本側の持ち出しであった」などと主張し、日本が植民地を抑圧したことを否定する。ではチベットに関してはなぜ「中国政府はチベットに良いこともしてあげているから抑圧しているとは言えない」と主張しないのだろうか?中国はまさに「持ち出し」でチベットの「近代化」を図ってきたのだから。一体どのような論理でネット右翼は中国を批判しうるのだろうか?

僕は無い知恵を一生懸命に絞って考えたのだけれども、これまでのネット右翼の主張と今回のチベット問題へのコミットメントを「整合的」に理解する論理を考え出すことは出来なかった。左翼・人権派は百歩譲ったとしても「今回は声が小さい(ようにも見える)」(それもごく普通に理解可能な)程度の話に過ぎないが、ネット右翼はそれどころではなく明らかに「理解不可能」・「矛盾」しているように見えるのだ。

その矛盾を指摘されて答えに窮した人たちが出してきたのが後者の論点、すなわち「人命が失われているのだから多少矛盾している人間がいたって受け入れるべき」という運動論の話である。ところでこの論点は「チベット問題が人権問題である」ということ「目の前の人権問題にはきちんと声を上げるべきであるということ」を前提にしなければ成立しない。それは「人権」に対する「シニシズム」、「国家によってのみ人権が守られるのだから反体制的な人権派の主張は自己矛盾(甘え)である」といった主張を放棄した上でなければ成り立たないのである。

いずれにせよネット右翼のシニシズムの論理が今回のことで「自滅した」ということについては非常に興味深いものがある。チベット問題に接してシニシズムに浸っていることに耐えられず思わずコミットしてしまった(元々徹底したシニシストではなかった)のか、それとも「シニシズムは行き着くところまでいくとある種のベタなロマン主義に転化する」という「仮説」が正しかったということなのか僕にはよく分からないけれども。

というわけで僕の後者の論点に対する答えは「共闘してもよい」。「シニシズムの論理」が自滅してこれ以降の人権問題への取り組みの風当たりが減るのって悪いことじゃないですから。

ところでiteau氏の対応も「往生際が悪い」としか言いようがないけど、それにしてもmojimojiさんて本当に容赦ないなあ。逃げ道を全部塞いで、文字通り「完膚なきまでに」という感じ。

(追記)
inumashさんのEntryへのお答え。

まず事実認識について。Entry上でも「ネット右翼が満足するようなかたちでは」とか「声が小さい(ようにも見える)」と留保しているように僕は特に今回左翼・人権派の動きが鈍かったとは思っていません。短期間にもかかわらずそれなりの人たちがそれなりの対応をしたのではないでしょうか。だいたい「左翼は声が小さい」とか言ってる「普通の庶民」なんて本当に存在するんでしょうか(少なくとも僕の周りの人にはいませんでしたけれども)。

世間一般における“注目”や“熱意”の供給量に対して「左派」の購買量があまりに少なかった、というのが根底にあるんじゃないかな。
に関しては正直言ってあまりにも茫漠としていて検証不能な話ですねえという感じです。

そもそも動きが「鈍い/速い」とか声が「大きい/小さい」というのは単に主観的判断にすぎない。もっと言うと政治性の表明なわけです。どういうことかというとinumashさんもネット右翼も、左翼に対して「かくあるべし」という政治的判断がまずあって、それが「鈍い」とか「声が小さい」とかいう判断を導いているわけです。左翼がそれに完全にシンクロしていないという批判なんですね。そしてそういった個人的な政治的判断でしかないものを唯一の根拠にしてしか成り立たない批判=「左翼沈黙論」というのが何か生産的な意味を持つのかよく分からない。

さらに言うとこの手の批判は、仮にもっと多くの団体が動いていたとしても、「まだあそこが動いていないじゃないか」とかいくらでも言えてしまう話なわけですね。特にネット右翼の人は「まだ足りない」とケチをつけ続けたのではないでしょうか。

それに比べれば「ネット右翼の矛盾」というのは客観的に明らかなわけで、彼らは「良い機会だ」と思ったのかもしれませんが、でもそれって「自滅」ですよねというのが僕のEntryの主旨です。それにしてもそもそも彼らはなんで今回の件を「良い機会だ」などと「勘違い」をしてしまったのでしょうかね。

(再追記)
さらにお答え。

それを本気で検証するんなら正式に調査した方がいい、ということには同意するけれども。
検証していない議論を唯一の頼みにした「左翼批判」に何か意味があるのでしょうか。この批判は、「世間一般」とか「注目」「熱意」「供給量」「購買量」などに全く中身が伴っていないので、「もっと何か出来たはずだ」という無内容な一般論にしかなっていない。

一般論というのはいつでもどこでも誰にでも成り立ちます(どんな運動でも行為でも完璧なものなどありえませんからどんなケースにおいても「もっと何か出来たはずだ」と主張することは出来る)。それゆえに無内容な主張なわけです。結局「機会損失が大きかった」という点を少なくとも説得的なかたちで算定しなければ今後の指針にすらなりません。

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Comment (15)

Aureole-Zero:

一点目
>なぜ
なぜならば、

・チベット支配は、正当性も薄弱で、なおかつ非対称的な戦力による武力支配と、民族浄化等の非人道的弾圧によるもので、中国(の中でも特に漢族主体の、文革後の華民)はインカを滅ぼしたスペイン人のような残虐な民族、と見做されているから。

・市民を虐殺した天安門虐殺に続いて、中国政府が同じくチベット虐殺を否定、もしくは歪曲する高い蓋然性があるから

・中国政府の大本営発表体質は、史書の時代や南京事案の頃から連綿と続く、被害者を騙って自己の正当性を捏造する情報戦略として同列の物と比定されるから

・中国は過去に幾度も政治的理由で五輪をボイコットしていると見做されながら、今回、政治とスポーツを結びつけることに自身が異を唱えたから

・これを機に中国が分裂することが、世界の利益とチベットの幸福につながると考えているから

であり、この視点で問題点を局限して考え、自己が政治的に依拠する立場を離れて、余りにも指弾されるべき点が多いと考えていらっしゃる方が多いはずです。
ですので、左右中の勢力図は、この問題では初めから閑却されているものである、と捉えられているからなのだと思いますよ。


二点目
>すべきか
国際政治は倫理で動くものとは縁遠いですが、倫理は国際政治の場裡で正当性を獲得する為の必須条件ではありますね。
友達とは、なるものではなく、なっているもの。という言葉を、ネットゲーム系のサイトの名言選集(サイト名等は失念しました)で目にしたことがあります。何かの参考にはなると思いますよ。

deadletter:

Aureole-Zeroさん。

色々と書いて頂きありがとうございました。けれども結局のところよく分からないというのが正直なところです。僕のEntryでの「ネット右翼がなぜ中国のチベット支配を批判できるのか?」についてのポイントは次の2点です。

(1)チベット問題は人権問題ではないのか(チベットは近代化が進み、人口も増えているそうだが、ネット右翼の論理ではこれは「中国はチベットに良いことをしてあげている」と逆に評価されるべきことではないのか)?

(2)チベット問題が人権問題であると認めるなら、人権問題への取り組み・取り組む人たちに冷笑的・批判的であったネット右翼は過去の言動とどう整合性を取りうるのか?

です。Aureole-Zeroさんがもしネット右翼の立場を擁護したいのであればこれに対して明快にお答えを頂きたいと思います。

ちなみに「南京事案の頃から連綿と続く、被害者を騙って自己の正当性を捏造する情報戦略」という事実関係が怪しいものについてはもう少しお調べになった方がいいと思います。まああくまで「(それが客観的事実であるかどうかではなくて)ネット右翼の認識がそうであるというだけ」ならば何も申し上げませんが。

それからこれもまあ「ネット右翼の認識がそうだというだけ」ならばまあ何も申し上げませんけれども。民族性に言及して「残虐」というレッテルを貼るのは通常「レイシズム」と見做されますのでお気をつけあそばせ。世界で声を上げている人権団体も「中国政府の政策は非人道的だ」と主張しているのであって、「漢民族は残虐な民族である」などとは主張していないと思います。

最後。「国際政治は倫理で動くものとは縁遠いですが、倫理は国際政治の場裡で正当性を獲得する為の必須条件ではありますね。」という認識には特に異論はありません。が、それに続く「友達とは、なるものではなく、なっているもの」についてはこの文脈でどの様に理解するべきなのか分かりませんでした。

Aureole-Zero:

(1)
統治行為の問題でしょうね。宗教的・地勢的に結合した、いわゆるチベット民族に対する。実際にチベットは高度な自治を求めていますから。人権問題の範疇には収まりがたい視座をもって捉えるべきだと思います。
ですから、仏教と分かちがたく結合したチベットは、そもそも宗教勢力を弾圧もしくは絶滅させる立場の共産中国とは、おっしゃられるような、近代的な中国の文明を分かち合うという美点をもたらされても、何をもってしても悦服しがたいということになります。

(2)
この件における人権問題には、信教の自由と表現の自由、団体争議権と平和的生存権の全てに対する侵害が挙げられます。

deadletterさんに逆にお尋ねしたいのは、この件に関して一言に人権問題と言う場合、これらのどれを重視しているのかな、と言うことです。それぞれの人権に対してネット右翼が与えてゆく価値は、玉石混交の体をなすでしょうから。それにより、ネット右翼の過去の行動との整合性は、各項目に付き是々非々になるだろうと思われます。

たとえば、仏教に対しては批判的なネット右翼ならば、鬱屈とした迷信からの開放という側面はある、と肯定的に捉えることも想像出来ますよね。その場合、信教の自由に関する人権上の行動に関する整合性は閑却されることになります。

宗教国家(侵略当時に、チベットに近代的国民国家の意識があったのかについては疑問ですが)に対する、統治行為の侵害、それに伴う、宗教国家が保障してきた各種の人権の侵害。その各段階に分けて論ずるべき問題だと考えます。

(その他)
情報戦略・レイシズムについて
情報戦上、中国人の国民性は、そういう風に見て扱うべきものです。被害者の立場であれば、国際社会の倫理に訴えやすいですからね。認識というより、知恵の部類です。もちろん偏見ととっていただいても結構です。問題なのは、相手をどう扱うか、と言う一点にあるからです。

南京に関する事案は宣伝工作に用いますよ、という内容の文書が先般見付かっていますから(新聞報道がありました)、天安門での虐殺がなかったと言い張る件や、チベットでの死傷者数に関する報道内容が中国当局の発表と、他の発表とで異なる点、最近ではギョーザ事件で中国側が根拠不明の資料を出し、中国側は完全な被害者と言い張る点。こうした事実と論難の点を線で結んで行き、共産中国の体質を批判して、南京に関する事案もあれは嘘だろう、というてこ入れをするのが、この場合理に適っているということです。

レイシズムに関しても同様です。過去に多くの民族が行ってきた同様の殺戮はひとまず差し置いて、中国が現下残虐と指弾されるべきことをやっている。という事は、中国の国際社会での倫理的正当性を崩す質となります。

(最後)
こちらの挿入位置間違えです。一点目の最後にそえるべきものでした。混乱させてしまいました。お詫びします。

(付記)
私自身には、よって立つ政治的立場はありません。ここでネット右翼擁護に回ると、deadletterさんと話が重複する点が少なくなる、という利点はあります。

deadletter:

Aureole-Zeroさん。

(1)「人権問題の範疇には収まりがたい視座」とは何ですか?僕の印象ではそれがネット右翼から語られたことを見たことがないのでよく分からないのです。ちなみに「仏教と分かちがたく結合したチベットは、そもそも宗教勢力を弾圧もしくは絶滅させる立場」への批判とは「人権(信教の自由)を尊重せよ」という話ではないのでしょうか?

(2)挙げて頂いた例が支離滅裂ですので(まあ「想像」であって実際の具体例ではないようですけれども)、仰っていることの意味がよく分かりません。

(情報戦について)
「南京事案の頃から連綿と続く、被害者を騙って自己の正当性を捏造する情報戦略」とあるように「捏造」とまで断言されるのだから何がいつどの様に「捏造」されたのかあなたは確固たる根拠を挙げられるのでしょうね?と申し上げているわけですが。

(レイシズムについて)
「中国の国際社会での倫理的正当性」が地に落ちている点について異論を挟んでいるわけではありません。繰り返します。「中国政府の政策は非人道的だ」という主張は「漢民族は残虐な民族である」とは全く異なります。人種・民族性に言及して「残虐」というレッテルを貼るのは通常「レイシズム」と見做されます。

最後ですが。
「私自身には、よって立つ政治的立場はありません」というのはもちろんジョークですよね。

Aureole-Zero:

(1)
お答えします。統治行為です。
deadletterさんが冒頭で比較して述べられた点についてですが、「過去の日本による朝鮮統治時代」に「日本は朝鮮にいいこともした」と相当な関係にあるのは「過去の中国によるチベット支配時代」に「中国はチベットにいいこともした」ですよね。そして進んで、「朝鮮は日本から独立した」と相当な関係にあるのは「チベットは中国から独立した」になることは自明です。

ですから、チベット人に必要な人権を保障するチベット政府による高度な自治、もしくは独立による統治行為(中国政府からすれば分裂でしょう)を確保すること、そして共産党による宗教国家の弾圧と言う状況からこそ起こっている現下の人権弾圧は、この統治行為と一体であり、これを解決するには統治行為が先にたつということ、これも自明です。

朝鮮の独立が正しいというのであれば、チベットの独立も正しいということになります。そしてそれを支援するネット右翼は、そこに正当性を見出すことになります。  

これらがdeadletterさんの冒頭のお話の前提にあって初めて、日韓とチベット・中国の歴史的関係の比較が相当なものになりますから、書く必要性は薄いと思っていましたが、ご理解いただけましたでしょうか。

その他の、各種人権にたいする態度の決め方ですとか、情報戦の進め方ですとか、そういった枝葉末節の事柄は、時代を先に進めるための、deadletterさんがおっしゃる、左右共闘の方略です。ですので、これらの点については、異論反論各種あるかと思います。

それから、拠って立つ政治的立場は特にありませんよ。

deadletter:

Aureole-Zeroさん。
(1)について。
仰っている理路が全くわかりません。「人権の尊重」という要素を完全に排除して中国の対チベット政策を批判できるのですか?

(2)は上記の話の目処がついてからにしましょう。ちなみにこれは枝葉末節の話では全くありません。

その他についてですが、要するに何の根拠もないのに「被害者を騙る」とか「捏造」とか主張したと。そして「中国政府の政策は非人道的である」と「漢民族は残虐な民族である」との違いもお分かりにならないと(後者の主張をもし公の場で行ったとしたら国際的にみて軽蔑の対象になりますよ)。色々なことに無自覚というかナイーブな方なのですね。

まあ上記のような言動を行っておきながら「拠って立つ政治的立場は特にありません」と仰るその臆面の無さが僕としては非常に興味深いわけですけれども。

Aureole-Zero:

(1)
deadletterさんの問題提起の論法自体に、ネット右翼から付け入られる隙があるということです。

問題だったのは、日韓・チベット中国の四国の歴史的経緯の対比が、等閑に付されていた部分を補備してみると、中国による統治を過去の物とし、チベットが今後独立することでのみ、相当になることが分かる事です。

これは、deadletterさんの問題提起に内包されている、チベットの将来の独立は、依然として想像上の物であるからです。これを実現するまでは、問題提起自体が空論ということになりますから、deadletterさんがご自身の問題提起の内容を訴求するためには、チベットの独立を、今直ちに現実化させる必要があるからです。

こうして、deadletterさんが是とする(ということになる)、ネット右翼への指摘の論法を逆用しさえすれば、自らに突きつけられた指摘に対して安穏とした位置に居て、チベットに関する統治行為に言及する余地が出来るということです。将来韓国のように独立すべし、という自明の結論を、deadletterさんのネット右翼への指摘から引き出せるわけです。ネット右翼はただそれに乗りさえすればよい話です。

ここからは、ネット右翼が統治行為への言及から人権問題への言及を行う余地についてです。 「人権問題の範疇には収まりがたい視座」については、「人権問題を包摂する統治行為の視座」と置き換えてみてください。統治者(為政者)を変える、つまりチベットを共産中国をから独立させるという、deadletterさんの指摘によって正当とされた目的を達成するための、版図に関する歴史的な問題とは別に、現下もっとも適切で有効な着眼点は人権問題。共産中国が統治していては、人権問題は生起し続けるのは自明。であれば、人権問題を解決するためには、統治者の交代が必要である。(適任者はダライラマが妥当である、とされている)したがって、為政者を交代させるための手段として、中国が人権問題解決のための当事者足り得ないことを暴く必要がある。つまり、為政者を交代させようとする者の誰もが、人権問題について言及すべき。つまりネット右翼も人権問題に言及すべき。すべきであるなら、言及するのは正当な行為である。ということになります。

わたしがネット右翼で、deadletterさんを駁撃するなら、問題提起の時点で現れていた、この隙を最大限に利用します。俺達一見批判されてるけど、よく読むと応援されてる内容だ。この解離性を利用しない手はない、と。

(その他)
ギョーザ事件では最大の被害者の日本人を差し置いて、中国人が最大の被害者だと強弁していましたね。テレビで明確に自己の被害者として騙っています。消費者に対して人も無げな、非常に身勝手で残酷な言動です。南京に関する事案に、度が過ぎた明らかな数字の捏造が挙げられます。被害者数ですね。そして、こうした南京の事案は対日宣伝工作として利用すると明記された文書が存在します。新聞やオピニオン雑誌で紹介されていましたよ。
天安門虐殺はなかった、外国勢力の策動だ、と間接侵略の被害者を装っていましたよね。
中国の歴史書や中国内での事件のニュースを、興味があれば調べてみてください。天安門ですとか。その他、一個人の凶暴性や犯罪ですとか。日本でも起こっていますよね。極めて残虐で猟奇的です。私にレイシストのレッテルを貼っても、それは担保されます。たとえ日本人を含む他の民族も残虐であっても同じことです。

情報戦にたいしては、当然対情報戦を行いますから、相手にその兆候を認めた段階で、相手は情報工作を行っている、つまり捏造・歪曲等の行動をとっているものとして扱うのが当然です。その意味では、中国はあまりにもあからさまにやりすぎです。そして私がネット右翼なら、中国人の行動に見られる残虐性に関する情報資料を、どんな些細なことでも、単体あるいは組み合わせの形で、オリンピックという情報戦の好機に投合させます。

(付記)
問題なのは、何をやりたいか。そのためにどのように正当性を獲得するかです。私自身の政治的に拠って立つ立場ですが、特にありませんよ。

Aureole-Zero:

少々目先を変えた話をさせていただきます。

左翼的な視点からすれば、なぜチベット人を虐殺してはならないのか理解不能だ、ともいえます。

万物の本性は空・無であると心得ている仏教徒なら、生きていても死んでいても同じ事で、人権自体不要だろ?そもそも仏教徒のチベット人が感情を荒げてデモをすること自体おかしいじゃないか。中国の領域支配を邪魔しないでくれ。共産中国を批判する者達は、仏教を理解しているのか?彼らは仏教徒だ。我々に対する批判は全て的外れだ。我々はチベット人をそうした異常な虚無的状態に陥れる、宗教と言う麻薬から開放しようとしているが、妨げがあるので、仕方なく武力を用いているだけだ。と。

つまり、あくまでチベット人に対する虐殺なのだから、共産主義と近縁の左翼的な人々に対する、あてこすりの批判も、そもそも的外れだ。オリンピック開催や経済成長、軍事的成長に対する当てこすりだろ。愚かしいことはやめてくれ。ということになります。

当然、左翼・人権主義者は、チベットに対する共産中国の政策とは別に、やるべきことはやっているのだと。ここまで徹底した物の見方は提示しかねるでしょうね。たとえ論戦の質に出来るとしても。おそらく。

deadletter:

(付記について)
ああなるほど。少し分かってきました。要するに単にネット右翼は「中国を分裂させたいだけ」の反中主義者で人権へのコミットメントはそのため方便に過ぎないと仰るわけですね。要するに「チベットでは非難に値すべきことなど何も起こっていない」と彼らは本心では考えていると。まあそういう見方もあるでしょうね。

(南京事件の事実関係について)
「南京に関する事案に、度が過ぎた明らかな数字の捏造が挙げられます。被害者数ですね。」と仰いますが、いつ中国が「捏造(=意図的にありもしないことをでっち上げること)」したのですか?その根拠はなんでしょうか?ちなみに南京事件についてはアカデミズム・歴史学徒による研究の蓄積が存在しますが、中国の主張が「捏造」であると確証されたことはないはずです。が、中国に対して「被害者を騙っている」とまで断言なさるあなたのことです。新証拠をお持ちなんですよね。

(レイシズムについて)
それから繰り返しですが、僕が言っているのは人種・民族性に言及して「残虐」というレッテルを貼るのは通常「レイシズム」と見做される、ということです。あなたは個々の事実を調べろと仰いますが、個々の事実を見ても漢民族の民族性自体が残虐なのだということは全く確証されません。あなたの正当性は、個々の事例を見たところで、全く担保されないのです。そもそも過去一度として「ある民族が残虐である/そうでない」とかなどと立証されたことはありません。

レイシストの多くは「自分は事実に基づいて主張している」と信じています。ヒトラーも自身の反ユダヤ主義について感情的なものではなくれっきとした事実認識に基づいていると信じていたわけです。まさか本気で仰っているとは思いませんでしたが、あなたも典型的なレイシストの仲間入りですね。残念です。

(「目先を変えた話」について)
「左翼は信教の自由を認めないはず」という話でしょうか。いや、認める左翼もいますよとだけ申し上げておきます。

最後に。
「拠って立つ政治的立場は特にありません」という自己申告にあまり意味はありません。

Aureole-Zero:

(付記について)
前半部については、ネット右翼が全員、同じ考えの持ち主であれば、と言えます。信教を認める左翼もいます、というご指摘のとおり、そこは各派十人十色でしょう。逆に単に思想も心情もなく、感情的になっているだけの者も居るかもしれません。後半部で、deadletterさんも、そういう見方も・・・と多様性については担保なさっておられ、視野狭窄的なお考えはなさっておいででないことがうかがえて、安心しております。
先に、基本的人権のうち、この件の場合ではどれを重視なさっていますか、と質問したように、そうした各人の思想心情の差異の存在については、私は当初から織り込み済みでお話しています。

仏教における空・無といった観念は、明らかに人権の範疇を越えた境地にありますよね。ですから人権の範疇を越えた視座について、統治行為とともにあげることが出来るわけです。
であれば、人権問題を取り上げても、共産中国に対しては仏教自体のこうした特質を逆に薬籠中の物とされて、無意味となる蓋然性があることも考えられます。でしたらその場合は、中国側の主張である、チベットはもともと中国の一部だったという、統治行為の歴史的正当性について、人権侵害を止めさせるために必要な為政者の交代のために、まず争われるわけです。
私が一貫して統治行為をあげていることについては、お認めいただけると思います。これは建設的な関係、つまりdeadletterさんがおっしゃる両派の共闘につなげるために、考えられる差異を、私自身の視座から明らかにするためです。私自身の政治的に拠って立つ立場については、別項を設けます。

(南京事件の事実関係について)
やってますよ。日本側から指摘されてから、後知恵で説明を付け加えていましたが。指摘を受ける以前の中国側の説明では、被害者の遺体で南京城内が数メートルの高さに埋め尽くされることになっていました。あまりにこっけいな主張だったわけです。中国側は当初それが通るものとしていたわけです。

(残虐性について)
そこは、私が最初に「見做されている」と書いたように、性悪説の観点で世間を見渡してみてください、といえるのみですね。人は生来誰もが持っている残虐性(悪性)を制御する事で、高度な社会を営みうるのだと。
日本人が起こした事件にも猟奇的で残虐なものは多々ありますが、中国人も同様です。互いの残忍性・残虐性を、辛くても認めてみてはいかがですか。
目先を変えます。中国人は、自分達は文革によってひとつの民族になったと言っています。文革が共産主義思想の実現という目的に基づくものであるのですから、それを達成した以上、異論を認めない中国共産党が、たとえそれが政治的必要にかられてであっても、いったん執り示した残虐性は、全員が対等な立場であるとされている、共産中国の国民の国民性といえるわけです。中央から末端まで中央の思想が伝達される時間差はあるでしょうけれども。

(政治的立場について)
特にないですよ。今般の国際情勢を語る場裡に、一石を投じてはいますが、それは政治的に依拠する立場から投じているわけではありません。池のほとりの人に、池の中での立場はそもそもありませんよね。

(その他)
deadletterさんがすこし分かってきました、と一部の点についておっしゃっておられますね。共感しないが理解するという、冷静な発言であると受け止めております。共感されると、私がここに居る意味はないですしね。

deadletter:

(付記について)
・信教の自由を認めない左翼なんて日本にはほとんどいませんよ。逆に日本においてそれを認めない左翼がどこにいてどの程度の影響力を持っているのか教えて頂けますか?

・全ての人間の内心は十人十色だなどというトリビアルな一般論を語りたいのなら、これまでのあなたのコメントのほとんどは無意味ですし、あなたがここで僕に論争を挑まれる意味もありません。自己否定になりますがよろしいのでしょうか。

・それ以下のコメントですが「中国政府が仏教徒は人権保障の範疇外だから抹殺しても良いと居直る可能性がある」ですか。あまりにもくだらないので、そうですね…どのくらいあるのか現実的可能性をあなたに説得的に示して頂いてからお相手しましょう。例えば中国共産党内でそれを政府の公式見解にせよと主張するグループが無視し得ない影響力を持っているという事実とか。

(南京事件の事実関係について)
よく聞くデマですねえ。ちなみに歴史学プロパーの人間の手による南京事件関連の本を一つでもお読みになりましたでしょうか?(まあ読んでないでしょうね)南京事件について何も御存じないということが伺えるコメントです。だから「事実関係をお調べになったら」とアドバイスしてあげているのに。底の浅いコメントは早々に切り上げた方がよろしいかと思いますが。

(レイシズムについて)
・誰が見做しているのですか?今チベットに抗議している世界中の団体で「漢民族は残虐である」と見做されていると?そんな主張が主流であるとは聞いたことがありませんが。

・性悪説云々に関してはまあ浅薄なお説教を得々と語られるのだなあという感想しかありません。しかも全く話題と関係ありませんしね。

・「互いの残虐性」?日本人も中国人もイギリス人もアメリカ人もドイツ人もオーストラリア人もフツ族もみんな残虐な部分があるということでしょうか?ならば人間は時に残虐な面を見せるというだけの話であって、特定の人種・民族に言及して「残虐だ」とレッテルを貼るのはなおさら誤っていることになりますが。

・それ以下の部分に関してはそうですね。形式的な話をされているのか実質的な話をされているのかどちらですか?ということですね。

(政治的立場について)
無自覚な方の自己申告に特に意味はないということを既に申し上げております。

それと僕にはあなたが「今般の国際情勢」とやらを論じているようにはそもそも見えないのですけれども。

Aureole-Zero:

共産中国の可能行動(通常Eと呼びます)や、ネット右翼の行動オプション(通常Oと呼びます)に関する事柄、その他枝葉末節に対するやりとりを閑却してしまって申し訳ないのですが、deadletterさんからの致命的な反撃を私は期待していましたので、その件について述べさせていただきます。

私の話の筋道の中に、「国際政治は倫理では動かない」という件がありますよね。と、同時に「統治行為に揺さぶりをかけるために、人権問題(倫理問題)を暴き立てる」という趣旨の文もあります。私のこの両説は、明らかに矛盾しています。そこをdeadletterさんは突いて下さらない。deadletterさんなら、鋭くえぐってくださると思っていました。

たとえば、先般アジアでの国境紛争地帯での大地震による双方の多数の民間被害者救済のために、双方が一時国境を開放し、諸外国からの救援も受け入れました。メディアはこの人命に対する配慮が、国境紛争を解決に導く画期となるかもしれない、と書き立てました。救援終了後、当然国境をめぐる緊張状態は変わらないままでした。

そうした実例もあるにもかかわらず、人権問題(倫理)で統治行為(国際政治)に揺さぶりをかけるべき、と主張している私の言いようは、この時点では当然矛盾しています。

回答は用意してありました。人権問題(倫理)を暴き立てて統治行為(国際政治)に揺さぶりをかけるならば、それに利害を伴わせるべきで、共産中国に利益をもたらす団体(投資している企業や華僑など)に人権問題を前提として非難圧力をかけることで、共産中国の最大の関心事である経済問題を惹起させる。です。

不買運動などがこれにあたります。中国人民の暴発を生起させるわけです。ネット右翼はこれに乗るでしょう。大方のネット右翼は、中国の分裂を強烈に欲求しています。共闘の余地は十分です。

ダライラマをガンジーに見立てて、国家主席との談話を求める各国の姿勢(倫理)は、全て各国の利益を目的として、大規模な抗議運動により、統治行為への看過できない揺さぶりをかけることを前提としています。共産中国には効き目は薄いでしょうから、実利と暴動による、国家の分裂(統治行為)による、人権問題の解決を図るわけです。

各国の利益とは、政権への輿論の指弾、国際社会での評価の下落に伴って現れる国政への影響などです。

こうした、相手の文章の中にある矛盾点を、論難の優先順位を考慮して突いてくださる事がなかったのは、大変残念です。

deadletter:

議論が噛み合っていないのはあなたの問題意識と僕のEntryの主旨がそもそもずれているからです。僕が全く問題にしていないことをあなたは問題だと信じ、僕が問題だと思っている点にあなたは全く無自覚です。あなたが不満に思うのも当然です。僕にはあなたが「したかった」と仰る議論に何の興味もありませんから。

ちなみにあなたの議論の建て方を見れば僕の議論は既に認められているようです。

まず一つ目は今回の問題に関する非難可能性は「人権尊重という視点」にしかありえないということです。それ以外はそもそも内政問題です。人権という視点だけが内政問題を超える「普遍性」を持つわけです。このことはことある毎に「内政干渉だ」と喚くネット右翼こそ自覚しているはずです(実際はどうか知りませんが)。けれどもネット右翼は「人権イデオロギー」を冷笑してきました。明らかに整合性を欠くわけです。これが二点目です。

さて今回の議論の過程で「ネット右翼=単なる嫌中主義者」だとすれば理解できるではないかという話がでました(ちなみにもともと僕はその説は知っていましたが)。それが当たっている可能性も高いように思われます。それでも僕は構いません。「ネット右翼はシニシズムを放棄した」という結論には特に影響がありませんから。

(「枝葉末節」な話について)
あなたが何の本も読まずに歴史修正主義者の言うことを頭から信じ込み中国を嘘つき呼ばわりしたり、「漢民族は残虐な民族と見做されている」などとあからさまにレイシズムを披露したこと、そしてにもかかわらず「自分には拠って立つ政治的立場はない」などと自称し続けたことについて、僕にはそれがある種の典型的な振舞いのように見えました。

情報の取捨選択の仕方、事実認識に「政治性」は端的に示されるものです。政治性からは逃れることはできません。もちろん僕にもあります。ただあなたと違って自覚的ではあろうとはしていますが。まあそれが「枝葉末節」だと思われるなら、僕のEntryが理解できなくても仕方ないだろうなとは思います。

kensei:

興味深い指摘ですね。
ではネット右翼たる私も勢いにまかせてコメントを……

(1)チベット問題は人権問題ではないのか(チベットは近代化が進み、人口も増えているそうだが、ネット右翼の論理ではこれは「中国はチベットに良いことをしてあげている」と逆に評価されるべきことではないのか)?

チベット問題は人権問題ではないでしょう。1950年に侵攻されるまでは独立国家だったわけですし。感覚としてはイラクやアフガニスタンに近いのでは。国家に内包されている国民であれば人権問題なのでしょうけれど、占領地における被征服民とでもいうか、国民扱いされていない印象があります。

逆にうかがいたいんですが、独立運動は人権問題なんでしょうか。あとはイラクやアフガニスタンの問題ですね。これはいわゆる人権問題なんでしょうか。人権の語義って非常に難しいですけど、これらはホロコーストなどと同じ「虐殺」「戦争犯罪」なのではないでしょうか。

人権の拠り所をどこにするかというのもあります。人権は国家が保障するものならば、失った国家が保障の拠り所となる人たちに、人権はないはずです。一種の戦争状態なのではないでしょうか。

中国が大きな問題を起こさず、このまま歳月を経れば、いずれは「人権問題」に換えることができるかもしれません。ちなみに人口増は漢民族の入植者のためと聞いています。また仏教徒が近代化を好むとは思えませんが…

(2)チベット問題が人権問題であると認めるなら、人権問題への取り組み・取り組む人たちに冷笑的・批判的であったネット右翼は過去の言動とどう整合性を取りうるのか?

ネット右翼たちが自覚してのことかどうかはわかりませんが、おそらく人権問題を冷笑してきたのは、国家(共同体)の利益と個人の権利(自由)が対立したときには、国家にその権利を捧げるべきである、という文脈においてでしょう。過剰なまでの人権への拘泥が、その対象となっているはずです。

チベット問題は、中国という国家に反抗していると捉えることも可能ですが、チベットの「エトス」を守ろうとする人々(共同体)に身を捧げているともとれます。どちらに正統性があるのかあえて断言しませんが、シンパシーを感じるのは確実に後者です。占領下の日本に相通じるものもありますし。

かれらが求める自由は、チベット人としての自由でしょう。そこにあるのはナショナリズムであって、かれらへの支援を表明することに、右翼的な言説との整合性を欠くという指摘は的外れではないでしょうか。

deadletter:

kenseiさん。コメントありがとうございます。

事実関係から整理しますと現在チベットは独立国家ではないです。国家として成立するには「主権」が必要ですが、チベット亡命自治政府は対内的主権も対外的主権も保持していない。そして国家ではないものが国家行為である戦争を行っているとすることは国際法の観点からは難しいと言わざるをえません。

またダライ・ラマはチベットの独立を求めているわけではないし、チベット人が「独立」という総意を示したことはありません。

次にネット右翼の言う「国家の利益の為に個人の人権を犠牲にすべき」という原則を採用するなら、中国政府の行為は正当化されます。独立権=民族自決権の行使は、そもそもそれを行使するか否か、するにしてもどのような形で行使するかに関して、最終的には個々人の決定が全て、要するに自決権の最終的な担い手は「個人」なわけですから。つまりネット右翼の論理からは「独立運動の尊重」という視点は導き出せないのです。

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