「文化庁のメディア芸術100選」のアニメーション部門・自由記入欄得票数第1位に選ばれたという同作品。話題にしている人も多い作品なので観てみた。
ライトノベルの谷川流原作「涼宮ハルヒシリーズ」のアニメ化なので、あらすじを知りたい人はwikipediaの「涼宮ハルヒシリーズ」を見てもらえばいいと思う。さて僕がこの作品を見て想起したのは「マンガ・嫌韓流」に関して東浩紀が語ったことだった。
手元に「論座」が見つからなかったのでとりあえずネット上から該当部分を拾って抜粋してみる。
…『マンガ嫌韓流』を一読して印象に残ったのは、表面の熱気とは裏腹の、冷笑的な空気である。…公平を期すために言えば、そこには説得力のある議論もある。しかし、それらの議論は、日韓関係の改善に繋がる積極的な提案に結びつくわけではない。結局残るのは、「歴史問題にしても竹島にしても、韓国人はどうしてこう話がわからないんだ、まあバカだからしょうがねえか」という諦め、というより冷笑だけである…
嫌韓のここに本質が現れている。かつて社会学者の北田暁大は、ネットを舞台とした擬似ナショナリズムの本質は、他人の価値観を「嗤」い、そのことで自らの優位性を保とうとするロマンティシズムにあると分析した。『マンガ嫌韓流』も同じである。
おそらく嫌韓の担い手の多くは、とりわけ嫌韓厨は、日本の将来を具体的に憂いているわけではない。彼らはむしろ、韓国人の愚かさを証明し、日本人の優位を確認したいだけなのである。『マンガ嫌韓流』がディベートの場面を数多く挿入しているのは、そのためだ。しかもその作法は、ネットでの「ツッコミ」に近い。だから彼らは、韓国人の歴史認識や外交姿勢を批判するだけではなく、その奇異な発言や行動を収集し、「あいつらはこんなにバカだ、困ったもんだ」と「ネタ」にする。…それを駆動しているのは、嫌韓厨自身の自己満足である。その背後には、韓国への歪んだコンプレックスすら透けて見える。
物語は「一般人・普通の人」=「キョン」の視点で語られ進行する(「自称中立」!)。主人公である「涼宮ハルヒ」は極度にエキセントリックな性格として描かれており、その言動・行動はあからさまに「ツッコミのネタ」の宝庫である。そしてキョンはハルヒに対する冷笑的な視線と共に、彼女に律儀にツッコミを入れながら話は進んでいく。
もちろんだからといってキョンはハルヒを「毛嫌いしている」わけではない。寧ろキョンはハルヒが気になって仕方がない。ツッコミを入れざるをえない。ツッコミの欲望を彼は統御できない。ツッコミのポジションへの果てしない欲望の表象がキョンという存在なのである。あくまで自らがツッコミのポジションでありたいという自意識に絡め取られたロマンティストたちは喜んでキョンに同化し、「あえてネタと戯れてあげる」ということに無上の自尊心の満足感を得ることだろう。
個人的な感想として僕はこの作品は全体的に気持ちが悪かった。ちなみに「みくる(大)」にはとても萌えた。

