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2009年05月25日

「トロイの木馬」

Memo

「裁判員制度」の広報サイトを見てみた。「裁判員制度の導入理由」の部分は特に非常に興味深いので紹介することにしよう。

これまでの裁判は,検察官や弁護士,裁判官という法律の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な検討がされ,またその結果詳しい判決が書かれることによって高い評価を受けてきたと思っています。
しかしその反面
刑事裁判は近寄りがたいという印象を与えてきた

国民の司法への理解を深める

為に裁判員制度を導入すると。今までの刑事裁判は「丁寧で慎重に検討がなされ」「詳しく判決が書かれ」さらには「高い評価すら受けてきた」のであって何か問題があったわけではない。それは単に「近寄りがたかった」だけで、「国民の理解が不足」なだけなのだ。要するにこのサイトでは裁判員制度とは。

「おまえたちもやってみればおれたちのやっていること(の正しさ)が分かるよ」

という代物だと主張しているわけだ。ちなみに刑法学者の中山研一教授も

法務省も最高裁も、現在の「裁判官裁判」とそれを支える検察と警察の捜査活動を基本的に妥当なものであると評価した上で、これに市民が参加することで刑事司法に対する国民の信頼が得られるというのみで、現状への自己批判が全く見られないところにあります。最高裁は最初から「陪審制」には批判的であり、法務省も「代用監獄」における密室取調べを改革する意思を全く持ち合わせていないのが現実です。したがって、新しい裁判員法が「冤罪の防止」を目的とするとはいっさい公言されていないことを見抜く必要があります。
その証拠に、裁判員法に対する批判(裁判員の守秘義務、取調べ全過程の録画、公判前手続の公開など)には一切耳をかさず、むしろ法相は死刑制度によって社会の秩序が保たれていると公言し、裁判員による死刑判決の悩みにも理解を示そうとしないのです。
と述べているように実際に司法側の改革はほとんどなされていない。代用監獄に代表される「人質司法」批判も、自白偏重批判も、取調べ過程のディスクロージャーの要請も一切無視。改革する方向性は「とにもかくにも分かりやすくする」というただその一点のみ。本当に彼らが司法行政に対する批判について「単に近寄りがたいものだから良くない」としか認識していないのだとしたら…そこに耐え難い腐臭・傲慢さを感じ取るのは僕だけではないはずだ。

ところで国民が参加できるのは一審のみ。上級審では一審の結論は一体どう扱われるのだろうか。ちなみに「痴漢に間違われたら逃げるが勝ち」と奨める弁護士さんは(その他のエッセイも読みましたが相当デキル方だと思われます)

特に東京高等裁判所がメチャクチャで、世界史上で最悪に最強で最低の裁判所と言われている。歴史上のどんな軍事政権下の裁判所より“強い”。とにかくクソもミソも何でも有罪。あれも有罪。これも有罪。みんな有罪。どーでも有罪。絶対に有罪。一審で無罪になったのは、必ずひっくり返す。一審の有罪は当然にそのまんま。そんなわけで、東京高裁だけじゃなく、刑事の裁判官は、「法務省(検察庁)の出先機関」とか揶揄されてるけど、むしろ検察官の方がずっとずっとマシで、最近じゃ、「悪魔の手先」かと思うようになった。
と述べている。さて仮に「疑わしきは被告人の利益に」といった原則論を愚直に裁判員達が実践した時この裁判員制度は「トロイの木馬」となりうるのだろうか?

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