天皇と中国政府の要人の会見の設定について各紙「天皇は政治的に中立であるべき」・「政治に巻き込むな」と猛反発をしている。それじゃ、天皇の政治利用の最たるものだった1992年の訪中時の社説を幾つか拾ってみよう。まずは読売新聞の社説。
もちろん、天皇の政治的利用は憲法上も許されない。政治的権能のない象徴天皇の外国公式訪問は、国事行為に準じる公的行為として内閣の責任で行うべきものだが、国家間の“儀礼”と思ってよい。訪中も個々の政治問題を超越した友好親善訪問とすべきだ。結果として、日中の国民感情に一つの区切りがつき、アジアの安定につながるのは、望ましいことでこそあれ、政治利用ではない。招請に応じないことで日中関係を後退させてはなるまい。
訪中での「お言葉」については、わが国は日中共同声明で「中国国民に重大な損害を与えた」責任を反省していることだし、国民感情を踏まえたお気持ちと平和な世界への願望を表明されるのが自然だ。天皇の政治利用とは別問題だ。
天皇のお気持ちに負担をかけない形で、天皇訪中を実現させたい。「招請に応じないことで日中関係を後退させてはなるまい」…十数年前は訪中に関して天皇の政治利用なんて歯牙にもかけていなかったことがよく分かる。ちなみに今の読売はこれ。
中国の国家副主席と天皇陛下との会見ごり押しもおかしい。会見申請のルールを無視した「政治利用」ではないか。この時期に、対米、対中国のバランスを考えてもよろしくない。(12月14日付「よみうり寸評」)
天皇が時の政権に利用されたと疑念が持たれることは、厳に慎むべきなのだ。その基本を現政権はわかっていないのではないか。(12月13日付社説)まあそもそも「対米、対中国のバランスを考えても」なんてどう見ても天皇の公務を政治的に評価しているところなんかは語るに落ちているわけだけれども、何と言うか…無定見?
次は朝日新聞。
過去の歴史を考えると、欧州や米国よりも、中国や韓国をまず訪問するのが筋であった。体制の違いや歴史の後遺症を考えても、遅きに失した感は否定できない。
反対論で気になるのは感情論である。ある若手代議士は、南京虐殺や賠償問題を例にあげて、「何でぼくら戦後世代までがいつまでも、この問題をひきずらなければならないんだ」と発言した。過去の清算は政治レベルの責任であり、陛下に負わせるのは政治利用だとしている。
私たちの考えは違う。戦後世代を含め、いやおうなしに「過去」をひきずっていかざるを得ないのだ。陛下や政府はもとより国民の一人ひとりが歴史の教訓に学ぶ努力を積み重ね、信頼を得ることで、初めて戦前の世代が残した「過去」を乗り越えられるのではないだろうか。
中国人の天皇観は一様でない。「戦争責任者」「軍部に操られた形式的な責任者」など年配者の厳しい受け止め方は当然としても、戦争を知らない世代にはマスコミが報道を避けていることもあって、日本の天皇制はほとんど知られていない。天皇を日中関係の改善・戦争責任問題の清算というあからさまな「政治目的」に利用する気満々の文章である。ちなみに今はこれ。
今回のご訪問は、それが戦前のイメージから新憲法の民主主義の下で、根本的に変わったことを知ってもらう絶好の機会になるであろう。
羽毛田(はけた)信吾宮内庁長官は、相手国の大小や政治的重要性によって例外を認めることは、天皇の中立・公平性に疑問を招き、天皇の政治利用につながりかねないとの懸念を表明した。何というか…無定見?
日本国憲法は天皇を国の象徴として「国政に関する権能を有しない」と規定した。意図して政治的な目的のために利用することは認められない。
次は毎日新聞。
両国は「一衣帯水」の隣国である。しかし、天皇の名の下で行われた侵略戦争が、中国国民の心になお深い傷跡を残していることを認めないわけにはいかない。戦後半世紀近くたったいまも、その記憶は消えていない。時の内閣の意向に沿った中国訪問に対して何の疑問も持たないどころか歓迎さえしている。で、今はこう。
中国側はこれまで何度も天皇訪中を招請してきた。友好と親善を目的とする訪中の実現は、そのこと自体に意義があると同時に、日本が過去の歴史に向かい合い、一つの区切りとする意味をもっている。
宮沢首相は訪中決定の談話で、「中国の国民に新憲法下の皇室を直接に印象づけるまたとない機会となる」と強調している。私たちも両陛下が中国国民の心からの歓迎を受けられるよう願っている。
会見設定の背景には、日中関係を改善・発展させたいという中国側の強い意向があるとみられる。それを受け、米国とともにアジアとの関係を重視する鳩山内閣が会見実現に動いた事情も理解できる。ただ、今回の対応で懸念されるのは、政府内で慣例となっている1カ月ルールを外しての会見設定が天皇の政治利用につながるのではないかとの印象を与えかねないことだ。
しかし、「(会見設定は)国の大小や、政治的に重要かどうかなどにかかわりなくやってきた」(羽毛田長官)との指摘にも留意する必要がある。一度のルール逸脱が今後、時の政権によって恣意(しい)的に拡大される余地を残してはならない。天皇の特例会見は内外の誤解を招かぬよう慎重になされるべきである。何というか…無定見?
そもそも「国の大小・政治的重要性に関わりなく」などといかに今さらカマトトぶろうが天皇の公務はどうしようもなく政治性を帯びている。現に中国政府が北京五輪に皇族を招待する意向を示したときも政治的な理由で反対した人間が多くいたこと、訪韓についても同様の理由で反対する人間が多いことが既にそれを示している。政治的に中立ならば訪問の要請があったなら平等に訪問すればよい。それこそ「不公平」にならないように。
要するに天皇は既に政治的に中立でもなんでもない。そして僕の見る限り中立性を求められてすらいない。今回の騒動で見えてきたことはマスコミに関わる人たちが「政治性」というものに関して極めて鈍く・乏しい感性しか持ち合わせていないということだ。

