Book

「タッチ」 (あだち充,1981〜1986)


この前、コンビニでこの作品を全9冊にまとめた「ワイド版」(単行本は全26巻)をふと見かけ、立ち読みするうちに、購入を決定。実は僕はマンガの単行本の類はこれまで殆んど買ったことがなかった。一番近いところで「スラムダンク」の「山王戦」のところ。それより前になると多分「キン肉マン」を一冊だけというありさま。別にマンガが嫌いなわけじゃなくて、ほんとに何となくここまで来てしまったという感じ。

言わずと知れた名作。今更「あらすじ」を紹介して、感想を書いて、「オススメです」なんてやる意味は全くない。でもこの「Book」はそもそもきちんとしたレビューでは全くなく、本にかこつけて何かを書く、というコンテンツなので、まあこんなメジャーな作品でも実は全然オッケーだったりするのだ。

「死者」は何処にも存在しない。そして存在しない「死者」に関しては幸も不幸も、無念さも怒りもありえない。だから「死者」の思いを代弁することは「ほんとうは」不可能だ。

でも「南を甲子園に連れて行く」というのは上杉和也の口癖だった。だから兄の達也が、「和也は、南を甲子園へ、と死んでもなおそう願っている」と信じて野球を始めるのは、自然な流れだと、まあ言えなくもない。

それでも達也は、例えば「和也として南を甲子園へ連れて行く」のと「達也として南を甲子園へ連れて行く」のとどちらを和也が望んでいるのか、等についてしばしば迷い、「揺れ」を見せる。

もちろん「死者」はどちらも望んではいない。そもそも「死者」にそのような思い自体帰属しえないのだから。達也が「死者」の思いをうまく汲み取れないのは当たり前なのだ。

それが極まるのが達也が甲子園出場を決めた後だ。ここに来て達也は「死者の声」を完全に見失う。和也は生前「甲子園出場まで」のことしか語っていなかったからだ。それ以降自分はどうすれば良いのか、実際達也はかなり混乱する。

そして結局達也は「死者の声」に依存することを諦め、南に「愛している」と宣言し、自立して生きる=「大人になる」ことを決意する。基本的に「大人」は自分のあり方、道を自分で決めるしかないのだけれども、要するにまあ「甲子園出場」はその「大人」になる為の一種の「通過儀礼」の役割を果たした、というような感じだ。

とは言え達也もなかなかに生真面目な奴だ。彼はいくらでも「和也の思い」を騙り、捏造し、自立から逃げることが出来たのに、そうしなかったのだから。「甲子園出場」以降の「和也の思い」を語る=騙ることを拒んだ、彼の誠実さには、結構心打たれるものがある。

そう言えば、あだち充のマンガに出てくるオトコは殆んど「言い訳」というものをしない、いさぎの良い真面目なヤツばかりなのだった。

(Sep/1/2002)