2003/10/11(Sat)「イラク攻撃の正当化は可能か」
久しぶりに「反戦日記」を。

今月の「論座」で村田晃嗣氏がイラクの大量破壊兵器未発見問題について、「イラクにこそ挙証責任があった」と述べ、このことでイラク攻撃を否定するのは誤りだという趣旨の文章を寄せている。それについての僕のコメントはただ一つだけだ。「だから何?」

そもそもイラクに挙証責任があることを否定していた国など一つもない。ただ「〜は存在しない」という証明は一般的に困難であり(だからこそ査察団が入った)、時間がかかる(だからこそ査察団は査察の継続を訴えた)。従って議論の焦点は「査察を続けるか続けないか」であり、「イラクに挙証責任があるかないか」では全くない。

アメリカやイギリスに求められたのは「(効果をあらわしつつあった)査察を打ち切らなければならないとする理由」だ。そして彼らがそこで示した証拠の全てが虚偽にまみれていた、そのことに対して今批判が集まっているのだ。アメリカにイラクの大量破壊兵器の証拠を示す責任などない、という村田氏の議論は悪質な論理のすり替えでしかない。

もう少し丁寧に言おう。アメリカやイギリスはあの時、「イラクはウランを輸入したのに明らかにしていない」とか、「45分以内にミサイル発射態勢に入ることが出来るのにそれを隠している」といった、つまりイラクには大量破壊兵器が存在するという事実があるのに、査察団に対してそれを正直に言わないイラクは信用できない、ということを主張した。「だからこそ査察はムダなのだ」と。

小泉の発言を引いても良い。「フセインが嘘をつき続ける以上アメリカの武力行使は仕方ない」という彼の発言はまさにそのロジックに沿ったものなのだ。

さらに言わせてもらおう。もしイラクが挙証責任を果たさないことがイラク攻撃の真の理由だったのならば、なぜイギリスやアメリカの国民の多くが今になって「ブレアやブッシュに騙された」という感覚を持つのだろうか。ブレアやブッシュが垂れ流した、フセインは脅威であり嘘つきだという根拠のないイメージ、それが査察の打ち切りと戦争の正当化に用いられたからこそ、彼らは「騙された」と感じているのではないのだろうか。

結局、あのイラク侵攻を正当化する理由など何もない。僕は攻撃を支持した人たちの言い訳が出揃うのを丹念にチェックし続けてきたんだけど、ついにまともなものを目にすることは出来なかった。そしてそれを(怒りを通り越して)とてもかなしく思う。

(追記)
論座」を軽く読み返したら、「査察は、アメリカ軍が駐留し、イラクに圧力をかけて初めて進展があった。査察続行というのなら駐留のための莫大なコストを誰が負担したというのか」というような記述を見つけた。

今となっては悪い冗談のような言い訳だ。アメリカは武力行使の後始末にそれ以上の犠牲と負担を強いられているのだから。けれどもそれ以上に「仮定を持ち出して」結論を否定すること自体間違っている。

村田氏は「コストを誰も負担しなかっただろう」という仮定に立っているが、もちろんこれについては逆に「誰かが負担をシェアしたかもしれない」という仮定に立つこともできる。事実ドイツやフランスから、「国連軍として自国の軍をイラクに駐留させる」という妥協案が示されたこともあった。問題はアメリカはその提案を歯牙にもかけなかったことだ。

本当に「査察のコスト」が問題であればアメリカは「コストの負担をせよ」とフランスやドイツに厳しく迫っただろう。そしてあれだけ強硬に査察の続行を主張していた両国はそれを断れなかったはずなのだ(もし断れば世界中の笑いものだ)。けれども事態は全く逆だった。フランス・ドイツの方から提案がなされ、アメリカがそれを蹴ったのだ。

もうこのへんでやめておこう。アメリカは初めから「攻撃ありき」だったのだ。武力攻撃支持派はアメリカやイギリスが主張していなかったことまで持ち出して、何とかこの攻撃の大義を救おうとしているのだけれども、僕にはその努力自体が非常に奇異に見える。
2003/6/12(Wed)「支持率50%の内閣総理大臣だって?」
僕も愛読者の一人である「憂国日記」(6/12)より。

「フセイン大統領が見つかっていないから、イラクにフセイン大統領が存在していなかったと言えますか」

という党首討論の小泉発言に、東天王ヨブさん、思いっきり呆れられています。もちろん僕も呆れた。というのもこれは先日ラムズフェルドが「大量破壊兵器問題」について質問した記者団を前にニヤニヤしながら語った「ジョーク」のそのまんまのパクリだったから。

そんなもの党首討論で大真面目に絶叫してどうする。

ちなみに菅直人の質問(「発見されない場合、首相はどうするのか。判断が誤りだったと謝るか、『大したことはない』と居直るのか」)に対する小泉の答え「国連に加盟している大方の国はイラクの大量破壊兵器保有への疑念は払拭していなかった」というのは全くデタラメな議論だ。日米英西以外の国は「だからこそ査察を続けよう」と言っていたのだ。

「疑念があるから攻撃してもいい」などというロジックはアメリカでさえも一度も使っていない(この論理に従えば司法当局が「疑惑があるから死刑」とやっても許されることになる)。アメリカは「疑念」ではなく「イラクは事実大量破壊兵器はあるのに、隠して嘘をついている」と「疑念」を「事実」として、それを理由に攻撃したのだ。

小泉も「疑念」があるからブッシュを支持するなどとは一言も言っていなかった。あなたは「フセインは嘘をついている(事実と違うことを言っている)」「フセインが嘘をつき続ける以上は、国連の権威をこれ以上貶めない為にも、ブッシュを支持する」と言ったのだ。もう忘れたのか。もし「大量破壊兵器の存在」という「事実」がなければ、ブッシュと小泉、あなたたちが嘘をついたのだ。

もう一つ。ブッシュは「国連が責任を果たさないからアメリカがそれを果たす」と言った。小泉もそのアメリカを支持した。ならば何故今更「国連に加盟している大方の国」に攻撃の責任をかぶせようというのだ。この卑怯者。

何度でも繰り返したい。メディアはきちんとこの問題を取り上げて、小泉の責任を問うべきだ。
2003/5/1(Thu)「死者を弔うこと」
ブッシュがようやく「戦闘終結宣言」を出すらしい。またパウエルも「テロ支援国家リストからイラクを外す」と言い出した。

都合の良い話だ。何しろ未だイラク国内で大量破壊兵器など何も見つかっていない。フセインが強固な国内体制を構築し、対外的な脅威も増大しているというのも嘘だった。フセイン体制はアメリカ軍がバグダッドに迫った途端霧散してしまったのだから。

そもそも、現段階において単に「蹂躙」としか呼びえないこの武力攻撃を正当化するロジックとはどのようなものだっただろうか。

イラクは大量破壊兵器を破棄しなければならない(所持してはならない)という国連決議がなされた→にもかかわらずイラクはそれに十数年間違反し続けてきた→フセイン体制が続く限り彼らはそれに違反し続ける→国連決議を守らせる為にも、世界から脅威を取り除く為にもレジームチェンジが行われなければならない…

しかし大量破壊兵器がないということはそもそも「国連決議違反」が存在しないということだ。もちろん渡すべき兵器がないのだから「テロリスト支援国家」でもありえない。アメリカはフセインの行方を追っているようだけれども、一体彼らは何の罪でフセインを裁くつもりなのだろうか。

イラクの広い領内の中から大量破壊兵器を発見するのには時間がかかる、という反論は成り立たない。それならばまさに同じ理由で査察の継続を訴えていたブリックスには何故その時間を与えられなかったのか。

それにしてもこの問われて当然の問題について、何故誰も何も言わないのだろうか。

小泉純一郎は「フセインは(平然と決議を無視し違反し続けることで)国連を愚弄した」と言ってアメリカ支持に回った。ということは現段階では(建前上の)日本のアメリカ支持の根拠は間違っていたということになる。何故誰もこれを追及しないのだろうか。

フランスのシラクは今や全く正当にアメリカを非難する資格を持った。なのに彼が復興問題しか語らないのは何故なのだろうか。

「起きてしまったことは仕方がないから将来のことを考えよう」と彼ら2人は手を握り合った。あなたたちが考える「将来のこと」とは何なのだ。確かに僕たちが、もうどこにも存在しない死者の為に為しうることなど何もない。けれども、せめて何の理由もない今回のような虐殺がもう二度と繰り返されないようにすること(具体的には超大国の恣意的な他国への侵略を阻止すること)、生き残ってしまった僕たちが考えなければならないのはまずそういうことではないのか。

"Mr.Koizumi and Mr.Chirac , Shame on you ."

「二度と戦争を起こしてはならないという決意を新たにする為に」と靖国を参拝する「インチキな」宰相の「インチキな」ダブルスタンダードがまかり通るような「インチキな」時代に、僕たちは生きているんだ。
2003/4/3(Thu)「Shock and Awe」
先日友だちとお茶を飲んでいる時、アメリカのイラク攻撃の話題になって「空爆の作戦名『衝撃と恐怖』って英語で "Shock and …" なんだっけ」と聞かれた。確かにその名前はよく耳にする。けれども英語に強くない僕は「『恐怖』なんだから… "Fear" じゃないの」と適当なことを言ってしまった。

大間違い。答えは "Awe" でした。しかも辞書でひいてみると "Awe" は正確には「畏怖」。でも空爆で何故「畏怖」が与えられるのだろうか。単に「恐怖」或いは「嫌悪(厭戦感情を含む)」なら分かる。けれども「畏怖」はそれとは全く違う。「畏怖」は「神」などの人知を超えた、超越的存在に対して抱くものだ。

僕はすぐに、ブッシュの驕り、自分は神の代理であるという思い込みが、やはりこの作戦名にも反映されている(空爆は神による罰!)、というふうに単純に思ってしまったのだけれども、岡崎乾二郎の分析は面白い(必読)。これはアメリカ自身のトラウマの表象というわけだ。なるほど、そうかもしれない。どちらにしてもアメリカは完全にある種の神経症に陥っている。おそらくは、あの「9.11」以降ずっと。

症例ならば他にも幾らでも挙げることが出来る。例えば彼らが大義名分としてきているテロとの戦い。それは「見えない敵」との戦いだという。だから彼らは、不透明なもの、見えにくいものを白日の下にさらけ出し、管理しようとする。

だがそれで充分だろうか。問題はそのようにして「見えるようになった」ものをいくら並べようと彼らは安心感を抱けないということだ。何故ならそれはもはや「見える」ものに過ぎないからだ。テロリストとは「見えない敵」だというのに、だ。

今やここに無限後退があるのは明らかだ。そもそも「見えない敵」の打倒・克服は、原理的な不可能性を帯びている。敵が見えないのは、敵が姿を隠しているからではない。そうではなくて「主観」こそが敵を作り上げるのだ。神経症に冒された主観こそが。

これについて社会学者大澤真幸が著書「虚構の時代の果て」(P137)で引用したカンボジアのかつての独裁者ポル・ポトの言葉を、文脈は違うのだけれども、最後にここでも引用してみたい。ちなみにこの後、ポル・ポトは彼が「細菌」=スパイとみなした人々の大規模な虐殺と、事態の元凶としてベトナムと戦争を始めている。

「我々はどこが病気なのか、正確に突き止められずにいる。病気は所在を明らかにして検診しなくてはならない。人民革命の熱気、民主革命の熱気が不十分だから…我々は細菌を探しているのにうまく行かない。細菌がもぐりこんでいる。…(中略)…だが、これ以上座視していれば、細菌によって本当に損害を蒙る可能性が出てくる。」(D.チャンドラー「ポル・ポト伝」)
2003/3/29(Sat)「Mr.Bush , Shame on you .」
アメリカのイラク攻撃がもしベトナム戦争化したら?そして「イラク国民解放」というお題目が意味をなさないほどイラク国民が抵抗をし、それ故にアメリカの大量破壊兵器で虐殺されるとしたら?

世界の世論は変わるかもしれない。アメリカ国内の世論も変わるかもしれない。アメリカは撤退をし、ブッシュは過ちを認め(いやその前にその時彼はもう大統領ではないだろう)、どうしたら僕たちがそこから新しいステップを踏みだせるか、将来に向けた新たな世界秩序をいかにして作っていくべきか、あらゆる人たちが真摯に再考を始めるかもしれない。

なるほど、悪くない。僕たちにとっては。少なくとも今安全な地点から、将来(それは少なくとも確実に訪れる)を憂うことが出来る、僕たちにとっては。

問題はそれが、イラクの人たちにとっては何の意味もないということだ。僕たちが冷静になって再考を始める為に、一体どれだけ彼らは犠牲にならなければならないのか。彼らには訪れることさえないかもしれない未来をマシにする為に、何故彼らの命が必要なのか…全くナンセンスというより他はない。

こんなバカげた戦争でイラク国民は死ぬべきではない。もし彼らが抵抗を止めれば、アメリカは今すぐにでも勝利し、「戦後復興」とやらが始まるだろう。

アメリカが「民主化」をやりたいならばさせればいい。その場合「反米政権」の出来る可能性が殆んどだが、それに文句をつける資格はアメリカには一切ない。ブッシュは「自由は神からの贈り物」と言い、自分はそれを広める代理人だと信じているようだが、だとすれば彼は「憎まれる自由」も喜んで受け容れるだろう。

テレビに出てくるアメリカの戦争賛成派は、ブッシュが批判されると決まって「フセインをサポートするつもりか」と怒り出す。けれども、フセインは悪い奴=悪でそれを打倒しようとするブッシュは正義だというそのロジックが全くナンセンスであることを彼らは、イラクの「民主化」によって知ることになるだろう。「フセインも酷かったが、ブッシュは最低だ」という彼らの意思表示によって。

ブッシュはこの戦争によって何かを得るだろうか。僕はその可能性は殆んどないと思う。軍事的な勝利/敗北の如何は関係ない。それは後々失い続けるか、先に全てを失うかの違いでしかないのだ。だとすればイラクの人々はこのような愚かな戦争で死ぬことを「殉教」といって意味付けるのは止めるべきだ。

「アメリカの苦戦」は「イラクの被害の増大」と正の相関関係にある。傲慢なアメリカが痛い目にあうのをみて内心溜飲を下げているような「反戦派」は自分がいかに偽善的かを自覚すべきだろう。反戦主義は同時に「殺されないで」とも言うべきなのだ。

ところで「Bowling for Columbine」の監督マイケル・ムーアのアカデミー賞でのスピーチが映画の公式サイトで読めます。一応リンク。「Mr.Bush , Shame on you .」
2003/3/20(Thu)「ブッシュはまだイーブンですらない」
どこもかしこも戦争報道一色。でも考えてみれば、ニュースソースはホワイトハウスなどごく限られていて、どれが本当でどれがプロパガンダなのか、いち視聴者の僕にはさっぱり見分けがつかない。日本のマスコミは殆んど現地から撤退していて、自らでは裏も取れないとくれば、一体「最新のニュース」とか「速報」を先を争って出す意味などあるのだろうか。

現地のことが殆んど何も分からないのに深刻ぶり、真偽も定かでないネタで床屋談義を延々とやるのって、報道じゃないよ、それ。視聴率競争に加担する気もないので、もうテレビの戦争特集番組は見ないと思います。

ちなみに。戦争にハシャいですっかり忘れているようなので、テレビの中の彼らには「哲学クロニクル」のメルマガから社会学者イマニュエル・ウォーラーステインの冷静なコメント(3/17)をささげておく。

「アメリカが短期間で勝利を収めたと想定してみよう。するとその時点で、ブッシュは勝者でも、敗者でもない。たんにイーブンになっただけだ。というのはなぜか。勝利というのは、地政学的な状況が現在よりも改善されることを意味する。しかしまず、勝利の後でイラクに何が起きるかが問題なのだ。」

ウォーラーステインが指摘し、ハシャぐあなたたちが忘れているのは、ブッシュの前途には様々なリスク、問題が存在し、しかもそれらの内のただの一つにでも躓くことは許されない、彼が始めたのはそういう類の「賭け」なのだ、ということだ。
2003/3/18(Tue)「偶然という悲劇」
前回の「楽観的観測」は外れてしまった。

フランスを、彼らの頑なな姿勢がこのような事態を招いた、と今になって非難する人が多いのだけれども、それは違う。アメリカが採択にすら入らなかったのは、賛成派があまりにも少なくて惨めな結果になると分かったからだ。つまり彼らの論理は、フランスだけではない、中国、ロシア、ドイツそして「ミドル6」、つまり殆んど誰をも説得できなかったのだ。繰り返したい。フランスを「国連の結束を乱した戦犯」とするのはお門違いだ。

ところで今回、僕を何よりも困惑させるのはその「偶然性」だ。

元々絶対的な「正義」とは、高橋哲哉のデリダ論を借りれば「脱構築不可能」、つまり神の観念であり、人間には本来近づくことは出来ない、「解釈」する事しか出来ないもののはずだ。けれども頻繁に「正義」を語る今のアメリカは、自分たち以外のいかなる「解釈」も「解釈」として認めない。

またブッシュは「責任を果たす」とも口にする。世界中の誰も要請していない案件に対して「責任を果たす」と。僕にはそれが、「神に正義を委託された者として、神の要請に対して責任を果たす」の「省略形」の表現だ、という以外に理解するのは困難だ。

つまり、アメリカは「神の代理人」であり、アメリカの持っているのは「正義の解釈」どころかまさに「正義そのもの」であり、だからこそ「正しい」のだというロジックだ。そしてその「正義そのもの」には定義上、アメリカ以外には近づくことが出来ない。

「もしイラクのボスがフセインでなく、シャロンだったなら、どれだけ国連決議違反を犯しても、核兵器を除いた中で最大の殺傷能力を持つ爆弾を落とされることはないだろう。」僕たちはこのようなアメリカのダブルスタンダードならばいくらでも指摘することは容易だ。けれどもそれに何の意味があるだろう。アメリカの正義は「神の正義」であり、そういう論理的「解釈」を受け付けない、「論理の彼岸」にあるのだ。

僕たちには理解の出来ない「正義」を盾にした殺人。それは「偶然の殺人」としか呼びようのないものだ。殺されるのは誰でも良いし、誰にでもありえた。そこに僕たちに理解可能な論理的必然性などない。イラクの人たちに「何故あなたは殺されねばならないのか」を説明する術を僕たちは持っていない。敢えて言うなら、あなたたちはたまたま「神の代理人」に愛されなかったのだ。

一体それが悲劇でなくて何だというのだろう。
2003/3/13(Thu)「世界はバカじゃない」
今更ながら当サイトはイラク攻撃に反対しています。でも僕は結構楽観的で、安保理は攻撃容認の決議など絶対に通さないと思うし、従ってアメリカが「国際協調」という錦の御旗に色気を出す限り攻撃は不可能だと思う。

「もし国連決議無しでアメリカが攻撃に踏み切れば、国連の権威が失墜するので、現在攻撃反対の常任理事国は最後の最後で、より多くの利権と引き換えに、賛成に回るだろう」という評論家が多いんだけど、僕はそれは全く逆だと思う。

そういう「体裁だけの取り繕い」こそ「国連の死」に他ならないからだ。これだけ世界中で反戦運動が盛り上がり、注視される中で、そんな「ヤラセ」が行われれば誰も国連に権威など認めなくなる。「結局アメリカの言いなりになるしかない国連に一体何の価値があるのだ」と。いや、まず何より僕がそんな「国際協調」は認めない。

まあフランスとかはそこら辺は敏感に感じ取っているんじゃないかな。もちろんそれは単なる願望なんだけど、でも僕はこの「世界」には、それくらいには、知性が備わっていると、信じていたいのだ。