12/31(Wed) 「一年を振り返って」
今年も残りあと1日を残すのみとなった。というわけで今年も去年と同様一年を振り返ろうと思う。
今年書いたのは「Diary」60本、「Text」1本、「Book」1本の計62本。つまり6日に一回の更新ペース。サボりぎみの一年でした。来年は頑張ります。ちなみに話題にしたテーマを分類するとダントツで数が多かったのはやはりイラク問題で12本。実生活でもそれについて考えていることが何となく多かったように思います。
今年当サイトで最もアクセス数が高かったのは「新古書店(ブックオフ)」について書いたやつ。僕は新古書店問題については今現在はほとんど関心を持っていないし、考えてもいないので、フォローは期待しないで下さい(もちろん反論は歓迎します)。まあ暇が出来たら何か他のことで「Text」としてあそこにまとまったものを書きたいなあ、とは考えています。
あとは個人的なことを少し。
今年読んだ本の中でベストを挙げよと言われれば、やっぱり小熊英二『<民主>と<愛国>』になるかな。他には山形浩生『たかがバロウズ本』とか入不二基義『時間は実在するか』も良かった。
それから今年気になった女優さんは上戸彩。ドラマ『高校教師』は面白くなかったけど、彼女自身は感受性の高さをうかがわせるフレッシュな演技をしていたし、それにかわいかった。深田恭子、深津絵里、竹内結子という僕の中での「3強」に今や迫りつつあります。今年は彼女が関わった全てのプロジェクトが大コケしたので、来年こそはそのムチャクチャな仕事量が報われるといいなあ、と思ってます。
とまあこんな感じかな。来年もまあぼちぼちと前に進んで行くつもりです。足を止めることなく。じゃ、良いお年を。
12/28(Sun) 「勇み足」
昨日書いた日記の道路公団についての記述は、後で新聞記事を読んでみたら、多くの部分が事実誤認に基づいた「妄想」の産物だったようなので取り消します。
ただ色々調べた後でも「この組織の持ち主(主体)は一体誰になるのか」という疑問に関しては、結局残った。
日本が制度上採用していると言われる「法人実在説」というのは法人を自然人と同じ実体とする考え方だ。もちろん法人は法人それ自身では歩くことも語ることも、誰かを訴えることも取引を成立させることも出来ない。従ってこの見解では、経営陣と法人それ自身の関係は、経営陣が法人という自然人・生物の手足、機関(=器官)として法人の意思を実現するというものとして理解される。つまり経営陣の意思決定は法人の意思の具現化であり、その結果経営陣が為した行為は、法人自身の行為と評価されることになる。
この説に立てば今回の与党案のように、経営陣が判断する会社経営上の投資意思決定を、なぜ何の関係も無い部外者が覆しうる権限を持つのかは説明がつかない。それについては一自然人の財産権を統治権力が不当に制限していると見なされても仕方が無いように僕には思える。
「経営自主権はほぼ100%確保できた」と現道路公団の総裁は言っているみたいだけど、この言い方は誤解を招く表現なのではないか。そもそも「経営自主権」などという権利が実際にあるのか(法定されているのか)どうかは僕は知らない。でも、もしあるとしても僕の感覚ではそれはもともと「100%のものとしてしか成立し得ないもの」、「分割不可能なもの」のように思われるのだ。
だから、現時点ではそれでもやはり「新しい特殊法人」と言われても仕方が無いのではないかなあという感じがします。
12/24(Wed) 「貴方に憲法を語る資格はない」
遅ればせながら小泉純一郎の自衛隊派兵についての会見の僕なりの感想を少しだけ。
率直に言ってあの会見は聞くに耐えなかった。僕には(ナイーブにも)、小泉純一郎がまさか憲法前文を引用して、それを自衛隊のイラク派兵の正当化に用いるなどとは思いもよらなかったからだ。 そもそも小泉はブッシュのイラク攻撃をなぜ支持したのか。もちろん建前としては大量破壊兵器の問題があったのかもしれない。でも基本は彼が述懐しているように「いざという時に日本を守ると約束してくれているのはアメリカだけ」、要するに北朝鮮が怖いからブッシュを支持しただけのことだ(そもそも日本にはテロリストとフセインに関係があるか、或いは彼が大量破壊兵器持っているか否かについては何の情報もなかったのだ)。
パラフレーズすれば「北朝鮮の問題があるから、(アメリカの武力攻撃による)イラクの人たちの犠牲は止むを得ない」、彼はそう考えたわけだ。
ちなみにその時僕は小泉という人は憲法前文が掲げる
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いずれの国家も、自国のことにのみ専念して他国を無視してはならないのであって…」
という、いわゆる「一国平和主義」を戒める「理念」と決定的に決別をしたのだなあと思った。つまり彼は「2003.3.20」 の時点で既に憲法について語る資格を決定的に失っているのだ。
だから僕は今回の会見で、小泉が自衛隊派兵の正当化に憲法の前文を用いた時、どうしようもないくらいの怒りで吐き気がした。彼に「一国平和主義」を批判して「日本人の覚悟が問われている」などと扇動する資格などいまさらあろうはずもない。僕に言えるのはこの男の人間性は芯から腐っている、ということだけだ。
12/09(Tue) 「嫌な季節」
最近買ったor読んだor気になった本(最近少し「心の哲学」に興味あり)。
「ロボットの心―7つの哲学物語」 (柴田 正良)
「解明される意識」 (D.C.デネット)
「ライブ・経済学の歴史〈経済学の見取り図〉をつくろう」 (小田中直樹)
それから石黒ひで先生の「ライプニッツの哲学」 を古本屋で見かけた。そう言えばデネットの話は石黒先生の授業で聞いたんだよなあ、などとしばし思い出に浸る。が、そもそも定価が\7,300というありえない値段の本で、その古本屋でも\5,100だったので、すぐにまた現実に引き戻される。もう少しお金持ちになって出直してきます。
2chに関する論文で話題の北田暁大「責任と正義」はなんだか楽しそうなのでプレゼント企画に応募してみました。当たるかなあ。ちょっとドキドキ。
さて、今年も嫌な季節が巡って来た。人いきれと暖房で、熱帯のような暑さになった満員電車の季節。前にもここで書いたんだけど、電鉄会社さん。頼む。ラッシュ時は暖房を切ってくれ。さらに言えば夜は酔っ払いの酒臭い息で窒息しそうだ。最近飲んで帰らないから身にしみて分かった。そして反省した。あれは公害だ。
もちろん酔客を専用車輌に締め出せとか息をさせるなとは言わない。だからその替わり「空気清浄機」をつけよう。その為に料金値上げしなきゃなんないのなら、僕は喜んで負担する。
12/05(Sun) 「二つの確認」
日本の外交官が殺されたことで「テロに屈するな」「遺志を継げ」という感情的反応が起きている。とりあえず二つのことを確認しておきたい。
一つ目は今回のことは「テロとの戦い」とは関係がないということだ。ブッシュとブレアが「サダムとテロリストとの繋がり」を証明することに失敗した以上、彼らの武力攻撃は「テロとの戦い」とは関係がない。またそもそもフセインが降伏していない(終戦、停戦文書に調印していない)以上、その残党によるアメリカ軍への攻撃は「テロ」ではありえず、単にアメリカの占領に対して、「ゲリラ活動("guerrilla campaign" By Newsweek)」による応戦が続いている、つまり戦争が続いていると言うしかない(Newsweek紙ではもはや「テロ」などとは表現していない)。
そして日本はそのアメリカを支持した国であり、フセインが日本を攻撃したとしてもそれは国際法上は正当とみなされる。だとするならば、今回の外交官の事件について「理不尽なテロだ」憤るのは、怒りをぶつける対象を間違えている。全ての責任は、アメリカに加担した小泉純一郎や、部下を丸腰でイラクに派遣した川口順子にあるのだ(さらに言えば彼らを支持し総選挙で勝たせた僕たちも、自ら責任を問う必要がある)。
政府は今回の件を都合良く「テロ」と位置付け「テロに屈するな」という大義名分を振りかざしているようだが、それは、自分たちの判断の結果起きてしまったことへの責任を、無関係なものへと転嫁するだけの破廉恥な行為だ(「ゲリラ攻撃に屈するな」では大義として成り立たないので、今回の件はどうあっても「テロ」でなければならないわけだ)。
二つ目は、あちこちでも言われていることだけれども、死者の遺志を語ることへの禁欲だ。仮に外交官のメールに「テロとの戦い」ではなく「アメリカの占領政策への疑問」が書かれていたら、川口順子は「遺志を継げ」などと叫び、産経新聞は得意げに「遺志」を連発しただろうか。
ここぞとばかりに死者を政治利用しようとする彼らの人間性は、もはや醜悪を通り越して腐っていると言わざるをえない。